ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

夕 日 ・・・・・

2012-05-06 22:42:27 | Weblog





昨夜,気がつかなかったけど、朝,街に出たら、桜も辛夷も満開だった。
旅行に出る前は、莟が堅くて、まだまだ先だと思ってた所、一気に満開になっていた。

今日は朝から,二カ所の稽古場を回って,最後は札幌手風琴倶楽部のアンサンブル練習、
家に帰って,宿題の楽譜を1曲書き上げた。

小樽の手宮神社「夜桜LIVE」が今週末に迫って来た。
昨年も声をかけて頂き、出演した,今年も8人のメンバーで出場する。
かがり火が煌煌と焚かれ、火の粉が舞い、桜の花びらが舞散る境内で
様々なパフォーマンスが繰り広げられる、
昨年は,雨と風で、寒かった。

人づてで、ハンガリーのアコーディオン奏者が、北海道公演に際し
アコーディオンを貸して欲しいと言って来ている、
もちろん、アコーディオンを持って移動するのは大変だけど、
公演の先々で他人のアコーディオンを当てにするのは・・・・どうだろうか・・・とも考える。
ソロの奏者なら、まずあり得ないことだとも思う。
演奏の善し悪しとか・・の以前の問題として・・・。

今日の写真は、船上から日本海に沈む夕日を写した。
海に落ちる夕日を,あんなにゆっくり眺めたことも、もうすっかり忘れた、
結婚したばかりの頃、泊村の手前、ヘルカルウス(今は入れない)の海岸に夕日をよく見に行った。
襟裳岬は,夕日も朝日も拝むことが出来る岬だ。
霧の夜は、闇夜を引き裂くように、灯台の光が回る、

大きな都会に住んでいると、それが普通になってしまうけど、
今回、山陰地方の村や街を訪ねて、ふと・・考えた、
都会に暮らすということは、これは特異なことなのかも知れない、
何時も,急き立てられるように時は刻まれ、人の流れ,車の流れに逆らっては生きて行けない。

さぁ・・電気が足りなくなったら・・・どうする・・・
日本の経済が止まってしまうぞ・・・・・と・・・いつも恫喝されている。

・・そう・・子どもの頃・・嵐の夜、蝋燭に火を灯して、
暗闇でトランジスタラジオの台風情報に耳を傾けることが大好きだった、
「潮岬の南南西150Kmの海上を北北東に向かって・・・・・」
昼も夜も影の無い暮らしより,少しくらい影のある暮らしの方が
人間の心の襞(ひだ)が深く刻まれて良いのかも知れない、
そんな暗闇に、あのテレビの薄っぺらいドンチャン騒ぎは不似合いだと多くの人は気づくはずだ。

映画「無言歌」や植村直己が歩いた極地の世界、決して多くは語らなかったけど、
私達に何かを問いかけてくれた、私達は,時代、暮らす場所(国)自然に翻弄され続ける。

雨足が強くなって来た。








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