草花探訪

季節の草花苗づくり

秋はすぐそこまで

2015年08月26日 | 花の写真

今日26日(水)から通学路に小学生の明るく弾んだ声が響き、見守り隊の老人の活動

開始です。「子どもたちの笑顔がいつまでも続いてほしい」との願いを込めて。

と、さらっと終わりたいところですがかって教育に携わってきたものとしては、寝屋川市

の中学生2人が殺害されるという忌まわしい事件に触れずにはおれません。

中1とはいえ半年弱前までは小学生だった二人、TVで流される姿からも幼さが感じ取る

子どもが、都会の繁華街を深夜から未明まで長時間うろついているのに、帰宅を促したり

警察に連絡したりする大人がいなかったのか。

警察もパトロールしていなかったのかと疑問に思い、悔やまれてならない。

学校も簡易テントを携えて野宿まがいのことを繰り返し行ってるという実態を把握していない

わけがない。だのにどのようにかかわり指導してきたのか、その姿が見えないことも不満だ。

マスコミは”人間関係が希薄になり、他人への干渉を避ける風潮強まってるのが要因”

とか、”昔は面倒見の良い口うるさい大人・年寄がいた”とか事件が起こるたびに繰り返し

ている。そのことは事実だし間違っていない。でももう一歩踏み込んだ主張がほしい。

前段が長くなりました。

さて、どうやら暑かった季節も終わりに近づいて寝苦しかった夜も徐々に改善されつつ

あります。早朝散歩に出かける5時はまだ暗闇で、日の出の時間も5時半ごろ。下の写真は

朝焼けの茜色に染まった比叡山方面の景色です。

30分ほど歩いて花街上七軒通りに差し掛かる頃、まだ街灯もついていてぼんやりと

かすんでいます。

老化が進行しているので目がかすむのだと思っていたが、それだけではなさそうです。

明けの明星(金星)の別の呼び名に「かわたれ星」というのがあるそうです。

「かわたれ」とは「彼は誰れ」のことで、薄暗くて彼が誰かよくわからぬ夜明け時を示す

言葉だそうです。(ある新聞のコラムの受け売り)

北野天満宮を過ぎ平野神社に到着する5時40分ごろ、まだ門(神門)は空いてません。

これから西へ向かって足を延ばすのですが、この時期に咲く花木は少なく、草花も

秋の草への移行期であまりお目にかかれません。

ですから私は舗装の道の端っこに根を張る植物を探しながら歩く異にしています。

歌手岡本真夜さんの「トウモロウ」(TOMORROW)の一節に 「涙の数だけ 強くなるのよ

アスフアルトに咲く  花のように」 がありますが、強さ・頑張り・粘るなどを感じるのです。

下の写真の花、名前を知らないのですが多分鉢植えの花が結実してこぼれ落ちた

のが成長したのでしょう。

上の2枚、スミレとタンポポです。昔は野原や地道の傍ら、どこでも生えていたのが、

今もその強さたくましさを失わず探せばどこにでも見つけることができます。

 

最後は今週の花、「芙蓉」です。

日本に自生する花木で、昔から美しい人の例えに用いられ、平安の頃から鑑賞され

愛されてきた花です。

ムクゲやハイビスカスと同じアオイ科の仲間、開花時期は8月~10月、少々の荒れ地

でも生育するので公園に、花が短命で一日でしぼむはかなさから仏寺とよく目につく

花木です。