竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

被災地 岩手へ その3 故郷、陸前高田

2011-12-16 10:32:36 | 被災地ボランティア

 

11日(日)は朝から粉雪が舞っていました。さらさらして湿っぽくないのでかえって走りやすくなっています。

今日は井上さんの足湯隊の一員として陸前高田へ行くことになっています。
参加者は井上さん以外私と、前にも一緒だったことがある富沢さん、モンゴルから来た日本人、田舎暮らしを志望する青年。男ばかりの足湯隊はめずらしいね。足湯隊募集の日付が来週の日曜になっていたので、初めての人は参加しなかったようです。
 
みな足湯経験者でいつもの前もっての講習は無かったので、手の開いている富沢さんと田舎志望青年に手伝ってもらって、クリスマスリース用のテープを15人分ほどカットしました。富沢さんはこの春定年退職したばかりで、日本財団の足湯隊で何度も東北に来ています。落ち着いて何事も手際よくやる紳士です。
 
田舎志望青年は大学を出て2年目、就職はせずこれまではWWOOFジャパンに属して、あちこちで農業体験などを重ねてきたそうです。
 
いろいろ面白い組織がありますね。彼は薪で生活するのが夢だそうで、なんだか私と似ていますが、車は嫌いだから運転しないといいます。普通の田舎暮らしでは現在、車が都会以上に必要不可欠になっています。だから町のそばで週2、3日働きながら暮らしたいそうです。
 
見知らぬ田舎に入っていくとき奥さんや子供がいるほうが歓迎されます。猿やイノシシならいざ知らず、田舎で暮らすことは人の中で暮らすことです。それも都会より濃密な人間関係の中で。
 
田舎で暮らすことがどういうことなのか、まずやってみなければ分かりません。私も四国の宇和島で暮らし始めたときは自動車も無く一人身でした。間もなく家内と知り合って、結婚するために小平に戻りましたが、3年で島根県に移住しました。その時は子供も二人いたし、中古の車も買うことになりました。一歩踏み出してから経験を積んでいくんですね。
 
モンゴルから来た人は40歳ぐらい、本職はマッサージ業、モンゴル人の女性と結婚してモンゴルに行き、子供さんも二人いるとか。子供達は奥さんの両親が育てているのでモンゴル語しか話さず、モンゴル語の苦手なお父さんとは話があまり通じないとか。
 
遠野まごころネットに来るといろいろな人と出会います。外国に住む日本人が一時帰国のついでにボランティアに来ているケースがよくありますね。男も女も、青年も高齢者も様々な思いで活動しています。周りの人と話すのも楽しみの一つです。
 
この日行ったのは陸前高田市小友地区の三日市仮設住宅の談話室。22軒ほどの仮設の中にあり、足湯は初めてのところです。前もって通知はしてありましたが、寒くて風の強い日なので、一軒一軒、足湯のほかに希望者にはクリスマスリースを作ってもらうと言ってまわりました。
 
ここでも開始時間の少し前から人が集まりだしたので、足湯と一緒にリース作りも始めました。小友地区は町の中心から離れています。でも町のことを知っている人も多く、私が生まれた家のあたりや親戚のことを知っている人も何人かいました。そういう人に会うと故郷に来たんだという思いが強くなります

 
ここの人たちは仲が良くて、高齢で進み方が遅い人にも手伝ってあげていました。後から参加した人にも教えてあげていたので大助かりでした。


 
3時を過ぎて足湯のほうが早く終わって、私の方が終わるのを待っていたので、今回は歌の時間はありませんでした。
足湯風景

 
皆さん来月も来て欲しいとのことでした。かごを作りたいという希望のほかにお雛様を作れないかという声もありました。クラフトテープのお雛様があることは知っていましたが、大したものじゃないというと、それでもいいからと言っていました。そう、皆さんお雛様を津波で失くしてしまったんですね。家内が作っている紙塑人形のお雛様と言うわけにもいきませんが、クラフトテープで手作りのお雛様を工夫して、1月2月はお雛様作りにしようと思いました。