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近代革命の社会力学(連載第77回)

2020-03-02 | 〆近代革命の社会力学

十一 ハワイ共和革命:ハワイ併合

(3)共和革命への急進展
 カラカウア王時代に先鋭化した王室を中心とする先住ハワイ人勢力と製糖利権を握る白人移民層の対立関係は、外見上君主制護持派と共和派という政体論のレベルの抗争に見えたが、実のところ、白人層の真の狙いはアメリカ合衆国への併合にあった。
 とはいえ、併合はさしあたり将来のことと見られていたが、それが一気に現実化したのは、カラカウア王時代の末期、アメリカ議会がアメリカ農業にとって不利な関税撤廃条約を実質的に転換する新たな関税法を可決し、アメリカ産砂糖に奨励金を付けたため、ハワイ製糖業界が打撃を受けたことにあった。
 これにより、農地の地価は暴落し、ハワイは不況に陥ったため、白人層のみならず、一部先住ハワイ人の中にすら、アメリカへの併合を求める考えが急速に広がったのである。あるいは、アメリカ側もそうした動きを見越して、関税法改正に踏み切ったとも考えられる。
 こうした経済危機の中、1891年に兄王の跡を継いだリリウオカラニ女王は、まず「銃剣憲法」を廃棄して、王権を再強化することを図った。そこで、93年初頭、女王は先住ハワイ人の請願を受ける形で、新たな憲法草案を閣議にかけるが、否決されてしまう。
 このような女王側の動きに危機感を募らせた親米派は、革命を計画するようになる。そこで、従来からのハワイアン連盟のメンバーらは、新たに革命機関としての「公安委員会」を組織し、宮殿で女王の新憲法構想に反対する集会を開催した。その結果、女王は譲歩し、新憲法制定の延期を表明するに至った。
 しかし、女王のこの宣言も事態を収拾することはできなかった。併合阻止を求める先住ハワイ人側も先鋭化しており、武力衝突の危険が迫る中、アメリカ政府は「アメリカ人の生命及び財産の安全確保」を名目に海兵隊を派遣した。このようなアメリカの露骨な軍事介入のもと、自警団組織のホノルル・ライフル隊が速攻で政府庁舎を制圧し、公安委員会がハワイ王国の廃止と暫定政府の樹立を宣言した。
 十分な兵力を持たない女王側は対抗することができず、アメリカ公使に抗議するのが精一杯であった。しかし、公使の反応は暫定政府支持という素っ気ないものであった。これは、当然にも、アメリカ本国の意向を反映した回答であり、海兵隊の介入を含め、アメリカ政府がこの「革命」の黒幕的存在であることを証明した形である。
 しかし、親米派が望む併合プロセスはすぐには進まなかった。それには先住ハワイ人勢力の強い抵抗ということもあったが、アメリカ側でも政権交代があり、海外膨張に慎重姿勢を見せるクリーブランドが新大統領に就任したことが大きかった。クリーブランドは「革命」におけるアメリカ公使の行動に疑念を抱いており、「革命」そのものも不法なものだったと認識していた。
 そこで、彼はアメリカ公使を更迭し、海兵隊も引き上げさせたうえ、改めてリリウオカラニの復位を模索することとした。ただし、革命家たちを免責するという条件付きであった。「革命」を反逆とみなすリリウオカラニはこれに反対で、本来反逆者を死刑とすべきところ、国外追放にとどめるとの妥協策を示した。
 一方、王党派は暫定政府を承認していた日本の支援を求めるべく、1893年、日本にとって不平等条約の性格を持つ1871年日本・ハワイ修好通商条約の改正を持ちかけた。これを受け、日本は「邦人保護」を名目に海軍巡洋艦をハワイに派遣して、併合の動きを牽制した。
 こうした内外の情勢変化からアメリカ併合のプロセスが障害を来したことを受け、暫定政権派はひとまず併合を断念するとともに、反革命による女王の復位を阻止するべく、1894年7月、共和憲法に基づくハワイ共和国の樹立を宣言したのである。 


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