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近代革命の社会力学(連載補遺8)

2020-11-29 | 〆近代革命の社会力学

二十四 第一次ボリビア社会主義革命

(4)「軍事社会主義」とその自壊
 ボリビア第一次社会主義革命は軍部内の中堅将校が主導するクーデターに外部の労組勢力及び新興の社会主義政党である統一社会主義者党が相乗りする形で、革命に発展したものである。
 そのため、およそ3年に及んだ革命の間、何度か改造された政権は軍人と労組幹部、政党人の軍民連合政権の形態を取っていたが、主導権は軍人にあり、軍人主導で社会主義的な施策が展開されたため、「軍事社会主義」と命名された。
 その点、統一社会主義者党は復員軍人団などからも支持されていたものの、革命後も明確な形で支配政党となることはなく、幹部党員が入閣はしたものの、革命政権の一翼に関わったにすぎなかった。
 革命指導者は革命後、最初の正式な大統領に就いたダビド・トロ大佐と革命直後に暫定大統領となっていたヘルマン・ブッシュ中佐の二人であるが、チャコ戦争の英雄でもあったブッシュ大統領のカリスマ性が勝っていた。
 約3年に及んだ革命はトロ政権期と続くブッシュ政権期とに二分されるが、1年余りで終わったトロ政権期の政策で中心を成したのは、米系資本スタンダード・オイル社の国有化である。
 この国有化は国民の支持を得たが、妥協的なトロは間もなく、より急進的なブッシュと不和に陥る。その結果、1937年7月、ブッシュの再クーデターによりトロは解任され、チリへ追放された。
 こうして、満を持して正式の大統領となった30代のブッシュ大統領はその武勲や容姿からもカリスマ性は充分だったものの、政治力ではトロに劣っていた。そのため、政権内外での軋轢が大きく、長期政権は望めなかった。
 それでも、ブッシュ政権期には、1938年の総選挙を経て招集された国民会議で新憲法が採択されるという重要な成果を得た。この憲法はボリビア史上初めて労働者の権利や社会保障、さらには先住民の権利を保障する画期的な憲法であった。
 しかし、ブッシュには政治調整能力が欠けていたうえ、「軍事社会主義」では政策展開上の核となる政治勢力が定まらず、革命に相乗りしていた左派勢力も強力な指導者を欠き分裂していき、政策の円滑な展開は困難であった。
 苛立ったブッシュは1939年4月、自ら「独裁者」を宣言し、国民会議を停止したうえ、大統領令を通じて政策を展開する権威主義に転換した。この「独裁」はいっとき成功し、労働法の制定のほか、鉱山貨幣のようなユニークな政策も実現された。
 鉱山貨幣とは、基幹産業である錫の輸出で獲得された外国為替をすべて中央銀行に納付させたうえ、必要な外貨額と株主への配当に充てるため最大5パーセントを還付し、残余は1ポンド‎‎当たり141ボリビアーノの‎‎交換レートで譲渡するというもので、後の第二次社会主義革命で実施された鉱山会社の国有化には進まないまでも、錫産業の収益を国が取得する初の試みであった。
 とはいえ、ブッシュの独裁に対する批判は強まり、彼は次第に追い詰められていく。その結果、1939年8月、ブッシュは拳銃自殺を遂げた。暗殺説も取り沙汰されたが、公式には自殺で確定している。
 こうして、「軍事社会主義」はブッシュの死により、唐突に終了することとなった。彼を継承できる軍人は他におらず、また分裂した社会主義諸政党も革命を継承するだけの力量を持たなかったからである。個人のカリスマ性に頼った革命の自壊現象と言える。
 この後、1940年代、軍人出自のグアルベルト・ビジャロエルの政権時代に、いっとき社会主義革命が復活するかに見えたこともあったが、全体として1952年の第二次社会主義革命までは保守回帰の時代となった。


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