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近代革命の社会力学(連載補遺7)

2020-11-28 | 〆近代革命の社会力学

二十四 第一次ボリビア社会主義革命

(3)軍民連合革命への展開
 最終的に事実上の敗北に終わるチャコ戦争での予想外の苦戦は、それを発動したサラマンカ大統領と軍との軋轢を生み、サラマンカは戦争末期の1934年、軍の圧力(事実上のクーデター)を受け、辞職に追い込まれた。
 代わって、真正共和党のサラマンカ政権と連合していた自由党のホセ・ルイス・テハダ・ソルツァーノ副大統領が就任することとなった。自由党にとっては、1920年以来の政権党奪回である。
 テハダ・ソルツァーノはサッカー選手出身かつ弁護士という経歴を持つ人物で、初代のボリビア五輪委員長に任命されるなど練達の政治家でもあったが、暫定性を免れず、軍との信頼関係を構築することはできなかった。
 この頃、長引くチャコ戦争の中で士気が低下していた軍部内でもヒエラルキーの変動が起きていた。相次ぐ作戦の失敗により司令部を構成する将官の権威が失墜し、代わって佐官級中堅将校の発言力が増し、かつ急進化していた。
 そうした急進的将校のグループとして、ヘルマン・ブッシュ中佐が組織する復員軍人団が結成された。当初、この軍人グループは非政治的な圧力団体として組織されたが、戦争を機に急変動するボリビア社会の中で、必然的に政治化した。
 こうした軍士官の政治化は、大恐慌と戦争という二つの要因によるインフレーションの中、生活苦にあえぐ労働者の運動との連携を容易にした。チャコ戦争を機に、二大労働組合によるストライキが全国に及んでいたが、通常は不倶戴天の敵となりやすい労組と軍の連帯関係が形成されていくのである。
 同時に、新たな左派政党として、統一社会主義者党が結党されたことも、革命へ向かう地殻変動を助長した。統一社会主義者党はストを展開する労組とも連携して政権打倒運動に乗り出していくが、まだ革命への決定的な動因は生じていなかった。
 暫定に近いテハダ・ソルツァーノ政権はストを収束させるだけの有効な対策を打てない中、武力鎮圧に傾き、軍部にスト鎮圧の介入を求めるも、ストに同情的な中堅将校が発言力を増した軍は動かず、むしろ労組の要請に応じて不介入を約束するありさまであった。
 そうした中、1936年5月、連合社会主義者党の有力政治家らが「革命委員会」を組織して決起したのに続いて、軍も決起し、テハダ・ソルツァーノ大統領を追放、軍人と文民から成る軍民評議会を樹立した。
 当初、暫定大統領にはブッシュ中佐が就くが、間もなく、ブッシュより年長でより政治的な調整能力が期待され、如上の復員軍人団の代表者に担がれていたダビド・トロ大佐がチャコ戦争での武装解除任務から帰還して大統領に就任する。
 この1936年の軍民評議会の樹立から、37年の政変によるトロ大統領解任とブッシュ大統領の就任を経て、39年のブッシュ大統領自殺により突然の幕切れとなるまでが、第一次ボリビア社会主義革命の過程である。


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