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近代革命の社会力学(連載第344回)

2021-12-10 | 〆近代革命の社会力学

四十九 アフガニスタン社会主義革命

(8)革命挫折の余波
 1978年アフガニスタン社会主義革命は、独立革命としての性格を持った南イエメンの事例を除けば、イスラーム圏における史上初の(現時点でも唯一の)マルクス‐レーニン主義標榜勢力による社会主義革命というで、イスラーム圏全体において大きな出来事であったわりに、革命それ自体の波及効果はほとんど見られなかったと言ってよい。
 もっとも、翌年、隣国イランでも革命が勃発したが、これはイスラーム勢力による共和革命であり、アフガニスタンとは正反対の理念を伴う革命となった。時期的には、前年のアフガニスタンでの革命が何らかの動的な刺激となった可能性はあるものの、イデオロギー的には全く影響関係が見られない。
 むしろ、アフガニスタン社会主義革命は、革命それ自体よりも、その悲劇的な挫折が、アフガニスタンはもとより、間接的な形で世界秩序の変動にまで影響を及ぼした事例であったと言える。
 実際、それは、革命後、支配政党の歴代指導者4人のうち3人までがクーデター、外国軍の侵攻、過激勢力による武力制圧と、それぞれに異なった状況下で殺害されるという異常な経過を辿って反革命勢力の全面勝利に終わった。
 このことは、1960年代の連続革命で誕生したアラブ世界の社会主義政権が独裁化し、行き詰まりを見せる中で、79年のイランにおけるイスラーム革命の成功と相まって、社会主義に取って代わるイデオロギーとしてイスラーム主義が風靡し、イスラーム世界全体での宗教保守化現象を招く契機となった。
 しかし、アフガニスタンではそれだけに終わらず、最終的に、近代化そのものにも否定的なイスラーム過激勢力の支配にまで反動化していくという特異な歴史の巻き戻し現象に行き着くこととなった。
 その意味では、アフガニスタン社会主義革命の挫折は、社会主義革命のみならず、その前段階であった1973年共和革命、さらには旧王制時代の晩期にある程度まで進行していた近代化そのものも遡って取り消し、中世イスラーム首長制の時代まで逆行していくかのような状況を産み出したのであった。
 同時に、ソ連軍に1万人近い戦死者を出したアフガニスタン内戦支援の完全な失敗は、ソ連自身の体制にも大きな政治的・経済的な負債を残した。その点で、ソ連にとってのベトナム戦争とも称されたアフガニスタン戦争は、ベトナム戦争より人的損失は少なかったにもかかわらず、敗戦後のアメリカ以上に、敗戦後のソ連にとっては打撃となった。
 その結果、直接的ではないにせよ、1989年におけるソ連軍のアフガニスタン撤退からわずか二年後の体制崩壊(ソヴィエト連邦解体革命)の間接要因の一つとなったという限りでは、西アジア辺境の地・アフガニスタンにおける社会主義革命の挫折が、間接的な形で、冷戦時代の終結という世界歴史上の大きな変動をもたらしたと言える。
 また、ムジャーヒディーンに参加したアラブ人義勇兵の一部は、内戦終結後、彼らを用済みとみなしたアメリカから見捨てられる中、米欧を標的とした組織的なテロ活動に反転し、現在も進行中の21世紀前半を、かつての冷戦に代わる対テロ戦争の構図に書き換える契機を作り出した。これは、アフガニスタン革命挫折の最悪の副産物である。


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