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近代革命の社会力学(連載第452回)

2022-07-04 | 〆近代革命の社会力学

六十五 キルギス民主化革命

(1)概観
 ユーラシア横断連続民衆革命の一環として、2005年の民衆革命を経験したキルギスでは、アカエフ政権からバキエフ政権への交代が起きたが、バキエフ新大統領は間もなく民主化に消極的であることが明らかとなった。
 2005年革命では、アカエフの縁故による腐敗した独裁政治が変革対象とされたはずであったが、政権を掌握したバキエフも、子息や実弟を政権高官に登用し、縁故政治を開始したことが、大きな失望をもたらしていた。
 こうして、バキエフが第二のアカエフと化していく中、早くも2006年から野党や民衆による抗議行動が隆起し始め、バキエフは議会を自派で固めるべく、07年に議会を解散し、大統領支持派の翼賛政党「輝ける道」を結党し、選挙で圧勝した。
 しかし、この選挙について、野党からは不正疑惑が提起されたが、同じく不正選挙疑惑を端緒とした05年革命当時とは異なり、今回は革命的な力学が作動しない中、09年の大統領選挙でもバキエフは再選を果たした。
 ところが、翌2010年4月、野党指導者が拘束されたことへの抗議集会が大規模な騒乱に発展したことを契機に、野党勢力が暫定政権を樹立すると、バキエフは首都から支持基盤の南部へ逃亡、最終的に友好的な独裁国ベラルーシへ亡命していった。
 このように、2010年の革命は、05年の革命から時間差を置いた二次革命という性格を持つが、今般の革命では暫定政権が05年革命の積み残した民主化に踏み込んだため、民主化革命としての性格がより濃厚になった。
 また、一連の革命過程では、女性のローザ・オトゥンバエワが首班として指導した点でも、男性優位の強いアジア諸国にとどまらず、大半が男性に指導されてきた諸国における従来の革命と異なる特徴であった。
 一方、この革命にはキルギス特有の南北地域間対立、さらにそれとも密接なキルギス人と少数派ウズベク人の民族対立が絡んでおり、革命直後には南部で大規模な民族衝突が勃発するなどの動乱を伴った。
 ともあれ、2010年民主化革命の結果、キルギスでは長期に及ぶ権威主義独裁体制が多い中央アジアの旧ソ連邦構成諸国の中では比較的民主化が進展し、周辺諸国とは別の道を進む契機となったこともたしかである。
 なお、キルギスは宗教上イスラーム圏に属するが、2010年民主化革命が同年末に開始されるアラブ連続民衆革命の直接的な触発契機となったかどうかについては充分な情報がなく、単に偶発的な共時事象であったかもしれない。


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