第2部 エスペランテート各論
(5)種々の構文③
Ⅳ 話法
エスペランテートの間接話法は、時制の一致を必要としない。
英語などの間接話法にあらわれる時制の一致法則が存在しないことは、祖語のエスペラント語と同様である。ただし、この法則の意味するところは、エスペラントとはことなっている。
エスペラント語では、動詞の時制変化を前提に、間接話法文の主節の動詞と従属節の動詞の時制がくいちがっていてもよいことを意味する。たとえば「わたしはきのう、太郎にあすくるつもりだといった。」という例文では、この日本語文と同様に、主節の動詞は過去形、従属節の動詞は未来形でよいわけである。
これに対して、エスペランテートにあっては、動詞は時制変化しないのであったから、時制の一致ということがそもそも問題とならず、動詞の形態は主節、従属節ともに一貫する。上例では、つぎのようになる。
Mo diri ar TAROU hierau, ke mo bweni morgau.
ただし、hierau(きのう)やmorgau(あす)のようなときをあらわす副詞をそえずに時制を表現するばあいは、動詞に時制接尾辞がつく結果として、つぎのように一種の時制の不一致がおこる。
Mo diris ar TAROU , ke mo bwenos .
ちなみに、上例を変更して、「太郎はきのう、あすわたしがくるつもりかとたずねた。」という疑問文を内包する間接話法では、疑問をあらわす従属節を「~かどうか」を意味する接続詞chuでみちびく。時制の一致が問題とならないことは同様である。
TAROU demandi mo hierau, chu mo bweni morgau.
直接話法は、従属節を引用符で囲んだ会話文のかたちであらわす。
前出二つの例文を直接話法でかきかえてみると、つぎのようになる。
Mo diri ar TAROU hierau,“mo bweni morgau.”
TAROU demandi mo hierau,“chu bo bweni morgau ?”