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共産法の体系(連載第11回)

2020-02-21 | 〆共産法の体系[新訂版]

第2章 民衆会議憲章

(4)民衆会議憲章の内容②
 前回、世共憲章の三つの支柱的原則の一つとして、「普遍的人権」を挙げたが、ここで、この原則について若干の補足をする。
 普遍的人権は、今日でも国際人権規約に集約されている人権の集大成と指摘したが、こうした「国際人権」と「普遍的人権」の間には連続面と切断面とがある。
 まず連続面から見ると、普遍的人権は人一般が享有する基本権の集成であり、それ自体が司法的に適用・執行される法規範となるものである。そうした実際上の法効果の点では、国際人権と連続、共通する。
 しかし、普遍的人権の究極的な根拠は人は生まれながらにして自由・・・という天賦人権論ではない。共産法は自然法や自然権その他の超越的・神学的な観念には依拠しない、徹頭徹尾世俗的な人為法である。従って、普遍的人権の根拠も人類共同的な人権盟約にあり、この盟約に参加しない限り、普遍的人権も発生しない。
 人権条項を含む世共憲章はこうした人権盟約を兼ねるものであるため、同憲章の締結をもって普遍的人権も確定する。とすると、世界共同体に参加しない地域の個人や集団に普遍的人権は適用されないことになるが、個別的に参加を望み、世共域内へ避難した個人や集団には普遍的人権が及び、世共による法的保護を受けることもできる。
 この天賦人権ならぬ盟約人権たるところから、体系上も、自由権より社会権が先行することが帰結される。とりわけ生存の権利である。「生存なくして、自由なし」だからである。世界共同体の設立趣旨は人類の平和的共存にあることからしても、この理は当然である。
 ただし、このことは表現の自由に代表される自由権を軽視することを意味しない。社会権と自由権は普遍的人権における不可分の両輪であり、その間に優劣関係はない。あくまでも、論理的な順序関係である。 
 もう一つの切断面は、普遍的人権は国家主権を前提しないことである。国際人権は国家主権を前提としつつ、国境を越えて人権を押し及ぼそうとする努力の産物であるが、それゆえに国家主権によってその適用を妨害される宿命にある。国家なき世界を前提する普遍的人権にそのような障害物は存在せず、全世界に普く及ぶものである。
 それゆえ、普遍的人権は国家と個人の対峙状況を前提しない。国際人権は国家権力から個人を保護する意義を持つが、共産主義社会では国家という政治体はそもそも存在せず、民衆会議を通じた統治に移行するので、国家と個人の対峙状況はすでに止揚されていることが前提となる。
 民衆会議の統治は本質的に人権を基盤とする統治であって、世共憲章における第一の支柱的原則である「民衆主権」と「普遍的人権」とはコインの表裏関係にあるとも言える。言い換えれば、人権を無視する民衆会議は存在し得ない。


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