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近代革命の社会力学(連載第187回)

2021-01-06 | 〆近代革命の社会力学

二十七 コスタリカ常備軍廃止革命

(2)革命への急展開
 1948年革命前のコスタリカの情勢は、中米の周辺諸国に比較すれば、安定した状況にあった。1870年代に自由主義的な政治体制が確立され、軍のクーデター介入は1917年が最後であり、四年ごとの大統領選挙に基づく政権交代を伴う民政が定着していた。
 社会経済構造上はプランテーションによるコーヒーとバナナ栽培を軸とするモノカルチャー経済が確立されていたが、コスタリカでは中南米における標準型である半封建的な大土地所有制は発現せず、むしろ中小規模の土地所有制が定着したため、貧困問題を抱えながらも、中南米の中では比較的に均衡のとれた社会経済構造であった。
 1929年大恐慌は農産品価格の暴落によってコスタリカのモノカルチャー経済に打撃を与えたが、グアテマラのようなファシズムの台頭は起きず、むしろ、アメリカの「ニューディール政策」に近い政府による経済介入と公共支出の拡大政策で乗り切った。
 その延長上に、1940年の大統領選挙では社会民主主義者のラファエル・カルデロンが当選し、カルデロン政権下で社会保障制度や労働法の整備を軸とする福祉国家政策が打ち出され、穏健な社会改革が進展したのである。
 とはいえ、カルデロン政権は歴代政権とは異なり、労働運動と強く結びつき、農園主を中心とした保守層と鋭く対立したが、カトリック教会の進歩派や共産党とも妥協し、政治的な座標軸を広げることで幅広い支持基盤を作り出し、1944年までの任期を全うした。44年大統領選挙でも、カルデロンが支持するテオドロ・ピカードが当選し、社会民主主義政権が継続された。
 このようにして、コスタリカでは同時期の北欧諸国のように、革命を経ずして福祉国家的な発展を続ける可能性も十分あったにもかかわらず、突如として革命が勃発したのはなぜか━。焦点は、1948年の大統領選挙にあった。
 この時、前大統領カルデロンが返り咲きを狙って再び立候補したものの、独立機関である選挙裁判所は野党候補者を勝者と確定した。ところが、ピカード政権は司法によって確定されたこの選挙結果を覆し、野党を弾圧して、カルデロンの逆転勝利を強引に導こうとしたのである。
 コスタリカの大統領選挙では従前からしばしば対立陣営間での暴力や不正が見られたが、政権与党が公然と選挙結果を覆すという露骨な選挙干渉に出たことはなく、このような政権与党による選挙結果の不正な転覆―事実上のクーデター―が、革命の直接的な動因となったのである。
 革命的蜂起を指導したのは、それまで政治的には周縁的な人物に過ぎなかった農園主・実業家のホセ・フィゲーレス・フェレールと彼の私兵組織であった。ただし、そこには次節に見るカリブ地域の国際革命支援組織・カリブ軍団の関与もあり、いささか複雑である。


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