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近代革命の社会力学(連載第409回)

2022-04-11 | 〆近代革命の社会力学

五十七 ソヴィエト連邦解体革命

(6)革命の余波①:対内的
 ソ連邦の急激な革命的解体は、独立した15の共和国の内部、さらには共和国間にも重大な余波をもたらした。その最大のものは、ソ連体制が共産党独裁支配とマルクス‐レーニン主義のイデオロギーにより抑圧していた民族主義を解き放ったことである。
 そもそも15の構成共和国がそれぞれ完全に独立したこと自体が民族主義の表出でもあったが、70年近いソ連の歴史の過程で多くのロシア人がロシア以外の共和国にも移住・定住していたことから、独立後、それら移住ロシア人は各国の「少数民族」として劣勢に置かれた。
 このことはバルト三国のようにソ連邦解体革命で先陣を切ったところでは先鋭な民族問題を生じ、エストニアとラトビアでは偏狭な民族主義イデオロギーから、ロシア系住民に国籍を与えない強硬策を採り、大量の無国籍者を生む結果となった。
 一方、ウクライナでは、独立後に台頭してきたウクライナ民族派に親ロシア派が対抗する構図が出現し、両者間での熾烈な政争が最終的に親ロシア派を敗北させる民衆革命を惹起し、ロシア系住民の多い東部を拠点とする親ロシア派の分離独立運動による長期内戦をもたらした。―その延長線上に現在進行中のロシアによるウクライナ侵攻がある。
 また、独立した共和国間で深刻な国境紛争を生じた事例として、アゼルバイジャンとアルメニアの国境地域ナゴルノ‐カラバフをめぐる紛争がある。ナゴルノ‐カラバフにはアルメニア系住民が多いが、アゼルバイジャンが領有権を主張して国境紛争に発展し、1990年代の戦争では最大推計で3万人が死亡する惨事となった。
 他方、各構成共和国内部でも少数民族が複雑なモザイク状に主権なき名目上の自治共和国を形成して編入されていたことが多く、それら地域がソ連邦解体革命に前後して次々と独立宣言を発する事態となった。
 中でも、コーカサス地方のチェチェン人はロシアに対して独立革命を起こし、90年代以降、二度にわたる独立戦争を経験するが、最終的にロシアの圧倒的な武力の前に敗北し、独立は果たせなかった。この件については次節で取り出して扱う。
 その他、グルジア(現ジョージア)でも南オセチアの少数民族オセット人が自治を剥奪されたことに反発し、蜂起した。この地域はロシアに隣接するため、ロシアとの事実上の国境紛争も兼ね、2000年代には南オセチアを支持するロシアとの間で戦争にも発展した。
 ジョージアでは、南オセチアに加えてもう一つ、少数民族アブハズ人のアブハジアでも分離独立運動が発生し、同じく国境を接するロシアを巻き込む紛争となり、ロシアの保護占領下にある南オセチアと並行的な形で、事実上の分離独立状態にある。
 さらに、民族問題とは位相を異にするが、タジキスタンでは無神論のソ連体制下で長らく抑圧されてきたイスラーム復興勢力が旧共産党勢力に対して武装蜂起し、1992年から97年にかけて、ロシアも巻き込み、最大推計で10万人が犠牲となる凄惨な内戦に進展、その過程ではイスラーム系少数民族の殺戮も行われた。
 こうした大小様々な旧ソ連邦領内での武力紛争は、ソ連体制が民族問題を本質的には何ら解決しておらず、ロシア革命により清算したはずの帝政ロシアの遺産でもある帝国主義的な膨張政策を別の形で実質的に継承していた事実を露呈したものと言える。


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