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リベラリストのと対話―「自由な共産主義」をめぐって―(4)

2014-07-11 | 〆リベラリストとの対話

2:資本主義の限界について

リベラリスト:前回、当分は資本主義で頑張ってみないかという私の提案には反対されましたね。

コミュニスト:ええ。資本主義はすでに限界を露呈しつつあると考えるからです。そのことは、拙『共産論』の中でも、資本主義が抱える三つの限界として指摘したところです。

リベラリスト:読みました。たしか、環境的持続性、生活の安定性、人間の社会性が危機に瀕しているとのことでした。特に、環境的持続性に重点を置くのが従来のマルクス主義などとの大きな相違とお見受けしました。

コミュニスト:そのとおりです。実際、最近世界的にも異常気象に見舞われています。グローバル資本主義の中、産業化が世界規模で拡大している現在の異常気象は、地球環境の周期的な自然変動だけでは説明し切れず、人為的に引き起こされている要素が強いと考えられます。地球が発する警鐘と受け止めるべきでしょう。

リベラリスト:アメリカが環境政策では後ろ向きであることは残念に思っているところですが、環境対策は資本主義の枠内でも実行できるのではないでしょうか。

コミュニスト:温暖化対策一つとっても、先進国と新興国の利害対立は決して埋まりません。新興国がさらに資本主義的発展を遂げるには、環境規制は緩和されなければならないからです。しかし、仮に新興国すべてが資本主義的発展を遂げたら、もはや地球は持続しないでしょう。

リベラリスト:それでも、前回意見の一致があった資本主義による生活水準の底上げを新興諸国が達成するためには、まだ伸びしろのある新興諸国の環境規制は少し大目に見る寛大さも必要かもしれません。

コミュニスト:目下新興諸国を牽引する中国とインドだけでも合わせて20億を超える人口があり、かれらすべてがアメリカ人や日本人のような暮らしを始めたら、地球環境はどうなるでしょうか。

リベラリスト:では、中国人やインド人は貧しいままでいろと?

コミュニスト:そうではありません。ですが、資本主義的発展モデルとは異なる道へ進むべきです。もちろん、それは新興諸国だけでなく、全世界においてですが。

リベラリスト:「地球共産化論」ですね。しかし、共産党が支配する中国等はともかく、アメリカや日本のように資本主義が高度に発達している諸国で、資本主義から共産主義へすんなり移行できるというのは、手品のように思えますが。

コミュニスト:拙論に限らず、マルクスの理論でも共産主義は資本主義から生まれることになっています。現代共産主義は農耕社会の原始共産主義とは異なり、産業化・情報化の基盤の上に成り立つものだからです。もっとも、すんなり移行するのではなく、社会革命という大手術は必要ですが。

リベラリスト:だとすると、共産主義へ飛ぶ前にやはり資本主義を通らなければならないので、それこそぎりぎり限界までは資本主義を続けるべきということになるのでは?

コミュニスト:まだいくらか伸びしろのある一部新興諸国は別としても、アメリカをはじめとする先進諸国はすでに資本主義国としても低成長・マイナス成長の後退期に入っています。人間で言えば、もう成長期をとうに過ぎて初老に入っているのです。私がアメリカ共産主義革命と言うのも、まずは資本主義総本山アメリカが率先して資本主義に見切りをつけて欲しいとの考えからです。

リベラリスト:では、資本主義が根付かず、新興国にも遠く及ばない低開発諸国ではどうすればよいのでしょう。

コミュニスト:それは、資本主義が文化や国民性と適合しないという外部的な限界に直面しているケースでしょう。共産主義は資本主義から生まれるというのは、あくまで原則的なモデルにすぎません。前資本主義的な低開発状態から共産主義に移行することも可能です。移行しやすさという点ではそのほうが好都合なくらいです。革命的大手術を必要としませんから。

リベラリスト:とはいえ、今日低開発諸国でも普及している貨幣経済そのものを除去しようというのは、やはり相当大胆な革命のように思えますね。私はあなたの貨幣経済廃止論にはいくつか疑問を抱いていますので、いずれ対論してみましょう。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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