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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(3)

2014-07-10 | 〆リベラリストとの対話

1:資本主義の意義について

コミュニスト:前回の対論の最後で、共産主義の話に飛ぶ前に、資本主義のプラス面や議会制の歴史的な貢献についての管見を聞きたいと言われましたね。

リベラリスト:はい。私は通常の米国人と違って反共主義者ではありませんが、かといって資本主義/議会制民主主義をあっさり放棄しようという性急な考えでもありません。一方、あなたも資本主義のプラス面や議会制民主主義の歴史的な貢献を認めると言われるので、その点を具体的に伺っておきたかったのです。

コミュニスト:わかりました。まず前者の資本主義のプラス面から述べますと、資本主義はそれが成功した限りでは、人びとの生活水準全体の底上げは実現するという点に尽きると考えます。ここには、二つの留保があります。一つは「成功した限りでは」です。現在、グローバル資本主義の時代と言われますが、実際のところ、資本主義が本当に成功したと言える諸国は、まだ限られています。

リベラリスト:たしかに、厳しく査定すれば、資本主義が成功している諸国は一部でしょうが、社会主義経済から資本主義市場経済に移行して、以前より経済状態が向上した諸国もいちおうこれを「成功」に含めれば、なかなかの好成績だと思うのですが。

コミュニスト:それは、先ほどの二番目の留保に関わります。旧社会主義諸国で経済状態が向上したというのは、生活水準全般の底上げがある程度できてきたからです。このことは、御国のアメリカをはじめ、いわゆる先進資本主義諸国でも実は同じことで、これらの諸国は生活水準の底が他国よりも高いというだけのことなのです。

リベラリスト:底辺を引き上げるということは、豊かさの第一歩ではありませんか。

コミュニスト:そのとおりです。ですが、資本主義が実現するのはあくまでも全体の底上げまでで、個々の生活水準の引き上げではありません。すなわち貧富の差は放置されます。その意味では、資本主義とは「置いてけ堀経済」であって、豊かになれない貧困者は置き去りにされるのです。

リベラリスト:たしかに、自助努力主義のイデオロギーが強いアメリカの資本主義ではそういう傾向にあります。ですが、日本などでは貧困対策もかなり踏み込んで行っており、必ずしも置いてけ堀でもないのではありませんか。

コミュニスト:日本でも、近年生活保護受給者が増大するにつれ、財政難から受給制限措置も厳しくなっており、置いてけ堀傾向は強まっています。

リベラリスト:私自身は「最大多数の最大幸福」を実現するのが資本主義であり、適切な貧困対策を伴った均衡ある資本主義経済は可能だと考えています。

コミュニスト:現実はそうなっていないのではないでしょうか。資本主義は、良くても「相対多数の最大幸福」しか実現しません。近年は、最悪「限定少数の最大幸福」に向かっています。資本主義者が現実の生活現場を見ずして抽象的な観念論を弄ぶ傾向は、マルクスの時代から変わっていないようですね。

リベラリスト:耳の痛いご批判です。ただ、成功した資本主義は全体の底上げを実現するというプラス面があるとする点では意見の一致があるようです。となれば、共産主義に飛び移る前に、まだ当分は資本主義で頑張ってみるべきだということになりませんか。

コミュニスト:これ以上頑張られては大変なことになると思っていますが、ここは重要な点ですので、次回の対論に回しましょう。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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