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奴隷の世界歴史(連載補遺)

2017-11-14 | 〆奴隷の世界歴史

第二章 奴隷制廃止への長い歴史
 
人種隔離国家・南アフリカの形成
 大西洋奴隷貿易の廃絶につながる英国での奴隷制廃止法は、遠くアフリカでねじれた副産物を生んだ。後に南アフリカ共和国となる南部アフリカの白人優越主義国家である。南アフリカの起源は、大航海時代の17世紀、オランダ東インド会社が入植したケープ植民地にある。
 ここにオランダ本国から多くのオランダ農民が入植し、後にはフランスやドイツで宗教的に迫害されたプロテスタント系信者らも加わって、次第にアフリカ土着白人―ボーア人―が形成されていく。かれらは、東インド会社の統制を受けず、自治的な植民地経営を行なっていた。
 その経済的基盤は、アメリカ南部と類似した奴隷制農園であった。ボーア人は、先住の黒人サン人やコイコイ人を駆逐し、その居住地を奪いつつ、かれらや周辺のバントゥー系黒人を奴隷労働力として使役し、自給自足の農園を経営していたのだった。
 この状況は18世紀末、フランス革命渦中でケープ植民地が英国に占領され、19世紀初頭以後、英国からの移民の流入によって急速に英国化されたことで一変する。折りしも、英国では奴隷制廃止運動が高まっており、その波は南アフリカにも押し寄せてきたのであった。
 英国当局は1828年、総督令をもって、ケープ植民地の有色人種にも白人と同等の権利を付与し、1834年の奴隷制廃止法をケープにも適用してきた。これにより、ケープ植民地の奴隷は解放され、労働力を喪失したボーア人農園は事実上破綻したのである。
 こうした英国の性急なやり方に不服を抱いたボーア人勢力は、1830年代から40年代にかけて順次、内陸部に集団移住(グレート・トレック)を開始し、現地の先住黒人部族と戦い、これを排撃しつつ、新たに複数の白人系共和国を建設していく。
 中でも北部のトランスヴァ-ル共和国と南部のオレンジ自由国の二大国家が、19世紀末から20世紀初頭の対英戦争(ボーア戦争)に敗れ、英国植民地となるまで存続した。
 これらのボーア人国家では奴隷制は否定されたものの、少数派の白人のみを有権者と定め、黒人や混血系をあらゆる部面で劣遇する人種差別政策が合法化され、後に南アフリカ共和国へ統合された際の人種隔離政策―アパルトヘイト―の基礎となったのである。
 南アフリカでは、奴隷制廃止が英国の占領という特殊状況下で、国策として上から押し付けられた結果として、人種隔離政策というねじれた方向に流れていった点も、南北戦争後、北軍の占領を受けたアメリカ南部のその後の状況と類似しているところである。


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