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人類史概略(連載第12回)

2013-10-14 | 〆人類史之概略

第6章 農業の発達と封建制

領土の拡大と分裂
 国家ははじめ、都市域を単位とする国家(都市国家)として成立したが、強力な都市国家が周辺の弱小都市国家を征服・併合して支配域を拡大し、領域国家へ成長していく。
 こうした領域国家は王(皇帝)によって統治されるのが通例であったが、当然にも広大化した領土を一人の統治者が完全に掌握することは技術的に不可能であった。
 そこで、アッシリアのように領土を属州に分けて、王の代官としての総督を置く方法が発明されるが、そのような分権化はまだ封建制の域には達していないものの、古代領域国家の解体への道であった。実際、アッシリア滅亡後、オリエントの覇者となるアケメネス朝ペルシャのように、最期は属州総督の反乱によって分裂・崩壊した例もある。
 封建制という術語のもとになったのは、古代中国の周王朝の統治制度であった。中国王朝は周知のとおり内陸の広大な平原地帯であるいわゆる中原を支配する関係上、中央集権を貫徹することが困難であった。そこで、周王朝は主に王族を各地に配置し封土を与え、宗族関係に基づいてその統治を委ねるシステムを編み出した。逆説的にも、領土を分封することが広大な国家の統一性を維持する秘訣となったのである。

農耕の拡大と土地私有制
 国家の分裂は、経済的に見れば農耕の拡大と不可分であった。農耕が拡大していくと農地面積も広がり、領域的な農園と呼ぶべきものも現れ、農耕が一つの産業として―まさに農‐業―発達していく。
 領域国家の領土の主要な部分は農地から成るようになり、土地=農地問題が重要な政治問題として浮上してくる。そうした農‐政が最も深刻な政争の具となったのは、共和政時代のローマであった。
 共和政時代のローマでは、元老院議員らの貴族が征服した属州で国有地を借り受けたり、事実上占有したりする形で奴隷を使役した農園経営を始め、実質上の大土地所有制が成立する。これにより、土地持ち中小農民の没落と都市貧民化が加速したため、改革者グラックス兄弟が土地の均分化を志向した改革に着手する。しかし貴族層の強い反発を招いて成功せず、兄弟ともに命を落とす結果となった。
 最終的に、ローマでは奴隷に代わり没落農民を使役するコロナートゥスという新たな農園経営手法が登場し、ローマ帝国末期にはこうしたコロナートゥスが一種の荘園と化し、帝国の封建的分裂が進行し、西洋中世を特徴づける封建制の伏線となる。
 同様の経過は、公地公民制が崩壊した後の中国や日本でも見られた。ただ、中国の場合、荘園は不輸・不入の権利を持つには至らなかったが、日本では西洋封建制に類似した不輸・不入の権利を持つ荘園制が発達していく。
 結局のところ、洋の東西を問わず、土地私有化に対する人間の欲望を抑制することに成功し得た国家は現れなかったのである。


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