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人類史概略(連載第13回)

2013-10-15 | 〆人類史之概略

第6章 農業の発達と封建制(続き)

封建制の中・近世
 周の封建制は一つの広域統治の技術にすぎなかったが、封土という観念の遠い先駆けではあった。一方、ローマの大土地所有制は封建制までは進まなかったが、没落農民を小作人として使役したコロナートゥスに至り、農奴を使役する西洋中世の封建制の伏線とはなった。
 こうして、中世から近世にかけては、世界的に封建制が普及した。といっても、ここで言う「封建制」とは広い意味における包括概念であって、西洋中世の封建制はその最も典型的な―それゆえに例外的な―形態にすぎない。
 広い意味での封建制の中には、大別して「領主制」と「大地主制」とが見られた。前者の領主制は西洋中世の封建制の別名であり、領主が自己の封土を一円的・排他的に支配する形態のものである。といっても、それが典型的に発現したのは、西洋でもフランスを圧倒的な中心として、あとは一時期のイングランドくらいのものであり、その余は半領主制といった体のものであった。
 興味深いのは、日本の近世の大名制度が西洋封建制と類似していることであるが、少なくとも徳川時代に入ると、藩主となった大名に対して幕府は改易・転封などの処分を科す権限を留保していたから、これは典型的な封建制とは言えず、中央集権制の萌芽であった。
 ただ、領主が主君たる君主―将軍を「君主」とみなせるかは問題だが―から与えられた封土を一円支配することに封建制の重点を見るならば、「日本は、その土地所有の純封建的な組織とその発達した小農民経営をもって・・・・われわれのすべての史書よりはるかに忠実な西洋中世の姿を示している」とのマルクスの指摘は妥当するかもしれない。
 他方、大地主制の典型は、それが現代まで根強く継承されている中南米などに見られる。この場合、大地主は封土を与えられた領主ではないから本来的な意味での封建制に当たらないが、大地主が小作人を従属的に使役しつつ、自己の農園を排他的に支配する限りでは広い意味での封建制の一形態に包括できるものである。ただ、この形態は領主制のような封土の観念によらず、所有権の観念による点で、すでに近代的な土地所有制度への過渡的形態とも言えたであろう。
 なお、領主制と大地主制の中間形態として、官僚などに中央政府から領地が支給された均田制崩壊後の中国や朝鮮の制度がある。また騎士が分与地の徴税権を委託されるイスラーム圏のイクター制のような準封建制とも言うべき形態もあった。この制度は騎士に領主権を認めるものではなかったが、これも次第に私有地化していくことを免れなかった。
 こうした広い意味での封建制は農業の発達がもたらしたものであったが、逆に封建制の発達が農業の発達を促進した面もあった。特に領主制の下、領主らは自己の封土で競争的に農業開発を進め、西洋中世ではようやく始まった鉄製農具の使用も加わり、技術の進歩によって農業生産力の拡大を実現したのであった。また大地主制の場合も、地主たちが自己の農園の収益性を上げるために努力したことで農業はいっそう発達した。


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