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近代革命の社会力学(連載第36回)

2019-11-04 | 〆近代革命の社会力学

六 第一次欧州連続革命

(1)概観  
 フランス革命がナポレオン帝政に変質し、さらにそのナポレオン帝政も打倒され、ブルボン王朝が復活、欧州全体の反革命反動同盟としてのウィーン体制が成立すると、欧州の革命運動はいったん厳しい冬の時代を迎える。  
 そうした挫折状況の中から、新たに自由主義的な立憲革命運動が勃興してくる。その運動は必ずしも統一的な組織によって遂行されたものではないが、ハイライトとなる1820年を皮切りに、ブルボン王政が再び打倒された1830年のフランス七月革命に至るまで、連続的な革命の波を作り出した。  
 このような国境を越えた欧州連続革命は、これが歴史上初であるが、欧州では1848年から49年にかけてもう一度発生しているので、本稿では便宜上、1820年‐30年の連続革命を「第一次欧州連続革命」と呼ぶことにする。
 第一次連続革命は、フランス革命後の欧州各地でフランス軍の占領下に出現したいわゆる「姉妹共和国」のようなフランス傘下の衛星国家の連鎖的樹立ではなく、各国でそれぞれ自主的に革命が起動された自発的連続革命であった点において画期的なものであった。 
 この連続革命は統一的な革命組織によって実行されたものではないが、イタリアではカルボナリ党なる革命組織が重要な役割を果たした。当時、北部はオーストリアに占領され、南部も分裂状態にあったイタリアでは、カルボナリ党運動が国家統一への最初の蠕動としての役割を担ったからである。  
 ちなみに、イタリア語で炭焼き人を意味するカルボナリの起源については諸説あるが、19世紀初頭の南イタリアに発祥したことはたしかで、極秘の集会所を炭焼き小屋に偽装することで当局の摘発を逃れようとしたことがその名称由来ともされる。  そうした発祥からも、カルボナリ党は秘密結社の性格が強く、当初は神秘主義的な宗教結社であったようであるが、活動を広げるにつれ、世俗自由主義的な立憲革命党としての性格を強めた。とはいえ、まだ近代的政党としての組織を備えていたわけではない。
 しかし、カルボナリは党員と非党員を厳格に区別し、党員を「義兄弟」と呼び合うなど、後の近代共産党組織のように結束が固く、排他的な運営をしていた点では、20世紀の革命的諸政党のプロトタイプと言えるような位置づけにある。  
 第一次欧州連続革命の初動は1820年、反動的なスペイン・ブルボン朝(ボルボン朝)に対して起こされたスペイン立憲革命であり、最終は1830年、フランス本家ブルボン朝を打倒したフランス七月革命である。このように、この革命は反動的なウィーン体制の象徴でもあった復活ブルボン王制に対する立憲革命という性格が強い。  
 スペインとフランスでの反ブルボン革命にはさまれる形で、ポルトガル自由主義革命、イタリアではやはりブルボン系のナポリ王朝に対するナポリ革命、さらにサルデーニャ王朝に対するピエモント革命が続いた。これらの革命の多くが1820年に集中したので、この年だけを取り出して「南欧同時革命」と呼ぶこともできる。  
 復活したブルボン本家の支配が強力だったフランスには1820年の同時革命が波及せず、10年遅れの1830年にようやく自由主義革命が勃発するが、この時にもパリに本拠を移転していたカルボナリ(仏:シャルボンヌリー)が寄与している。  全体として見ると、第一次欧州連続革命は18世紀フランス革命の挫折後、ブルジョワジーが各国の反動王制に対して起こしたブルジョワ革命の性格を帯びており、君主制そのものの打倒を目指す共和革命ではなく、立憲君主制の限度に収める「穏健」な内容に終始し、フランスを除いて、最終的には挫折していった。
 とはいえ、18世紀以前の革命が基本的に一国限りのものだったに対し、第一次欧州連続革命が国境を越えて革命の連鎖となった背景として、カルボナリ党の発祥地イタリアを越えた国際的な展開も寄与したと考えられる。


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