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世界共産党史(連載第8回)

2014-05-28 | 〆世界共産党史

第4章 スターリン時代の共産党

1:スターリンの党支配
 ソ連共産党では、党創設者レーニンが1924年に早世し、トロツキーとの跡目争いを制した側近のグルジア人スターリンが後継者の椅子に座った。こうした経緯からみても、ソ連共産党には指導部を民主的に選出する気風が当初から乏しかったことは明白である。
 そうした非民主的な党運営をいっそう推し進めたのが、スターリンであった。彼は革命前からの古参党幹部であり、レーニン側近として早くから頭角を現していたが、その性格は官僚であり、実際スターリン時代に確立される党内官僚制を自ら体現する人物であった。
 彼は実務能力や権力闘争には長けている反面、思想的には凡庸であり、共産党の党理念を深化させるような貢献は何一つしなかった。その代わり、彼は共産党の独裁支配をいっそう強固にするとともに、自らの権力基盤を固めるため、秘密警察を使った大量粛清に走った。権力掌握後、追放した政敵トロツキーを遠く亡命先のメキシコまで追跡し、刺客を送り込んで暗殺した。
 トロツキーの非業の死は、スターリン主義と対立するトロツキストの有力分派を生み、各国共産党内部での粛清を伴う激しい党内抗争の火種となっていく。
 こうした暗殺をも辞さない公安・諜報機関に依拠する権力装置の土台はすでにレーニン時代に出揃っており、スターリンはレーニンのやり方をいっそう極端化したものであった。その点で、レーニンとスターリンとを峻別し、スターリンがレーニンの正しい路線を歪めたとの評価は公平とは言い難い。
 スターリンはまた、西欧主要国でいっこうに社会主義的な革命が発生しない現実に鑑み、インターナショナリズムよりもナショナリズムの追求に舵を切り、折から巻き込まれた第二次世界大戦の対ドイツ戦では、国民の愛国心を強力に鼓舞して軍国体制を築き、自らの独裁固めにも巧みに利用した。
 スターリンは1953年に死去するまで、大戦をはさんでおよそ30年にわたり独裁体制を維持したが、この間、ソ連が急速な工業的発展を見せ、軍事的にも強勢化して米国と肩を並べる大国に浮上したことも事実である。
 スターリン時代に確立された強固な一党支配に基づき、国家に資本を集中させてある程度計画的に生産活動を推進する国家資本主義による上からの集中的な経済開発は、遅れた農業国を比較的短期間で工業国に押し上げるうえでは、一つのモデルともなったのである。
 しかし、それは本来民主的で、平等な共産主義社会の実現とは程遠い、特権的な党官僚が支配する警察国家体制を代償として固定化することになり、ソ連やその影響下にある諸国を抑圧的な監視社会に導いていった。そのことは、共産党のイメージを大きく汚すことにもなった。 

2:スターリン主義の波及
 コミンテルンの創設以来、世界の共産党はロシア共産党改めソ連共産党を事実上の司令塔として結成・運営されるようになっていくが、そうした統制はスターリン時代にいっそう強まる。「革命の輸出」ならぬ「スターリン主義の輸出」である。
 最初に明確な波及現象が見られたのは、世界で二番目の社会主義国となっていたモンゴルであった。モンゴルの支配政党・人民革命党は民族主義者と社会主義者の合同政党であったことからしても、当初は比較的柔軟な路線を採ったが、スターリン政権発足後、ソ連の干渉が強まり、国教の地位にあったチベット仏教弾圧や農業集団化などスターリン路線に沿った強権統治が始まる。
 そして、1936年にモンゴルの事実上の最高実力者となったチョイバルサンは「モンゴルのスターリン」の異名を取るほどスターリンと歩調を合わせ、自らも秘密警察を使った粛清で独裁体制を確立していった。彼はスターリン死去の前年に没したが、まさにスターリンと同時期に並び立った小スターリンであった。
 スターリン主義の影響は西欧諸国の共産党にも及ぶ。中でもフランス共産党は「モスクワの長女」と称されるほどにスターリン主義に忠実であった。その指導的人物は1930年から64年まで30年以上党書記長の座にあったモーリス・トレーズである。
 一方、戦間期のドイツ共産党は議会政治で一定の地歩を築いていたが、当時スターリン支配下のコミンテルンでは革命を放棄し、穏健化した社会民主主義をファシズムと同視する「社会ファシズム論」なる敵視政策により、排撃する方針であったことから、社民党が強力だったワイマール体制下のドイツ共産党はこうした社会ファシズム論の実践機関となった。
 その結果、ドイツ共産党は反社民党という一点では、台頭してきたナチス党とさえ手を組む矛盾に陥り、ナチスによるワイマール立憲体制破壊とナチス体制の樹立に図らずも手を貸し、自らもナチスにより弾圧・解体される結末を迎える。
 こうして、スターリン主義の影響はコミンテルンを介して各国共産党に波及していき、成功した共産党組織をスターリン流の首領的指導者が君臨支配する権威主義的な党として性格づけていく。


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