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近代革命の社会力学(連載第365回)

2022-01-17 | 〆近代革命の社会力学

五十三 アフリカ諸国革命Ⅲ

(2)ライベリア革命

〈2‐1〉解放奴隷支配体制の動揺
 西アフリカのライベリア(和称リベリアは本来は誤称のため、以下ではライベリアと表記)は、自由=リバティに由来する国名が示すとおり、1847年にアメリカ合衆国の黒人解放奴隷のアフリカ「帰還」事業の帰結として建国されたアフリカ大陸でも特異な歴史を持つ独立国家であるため、西欧列強の植民地支配を免れてきた。
 ただ、建国経緯から、国の政治経済は人口構成上の少数派である黒人解放奴隷子孫―アメリコ・ライベリアン―が独占し、先住黒人諸部族を支配する構造が続いてきた。特に、1878年以降は、アメリコ・ライベリアンの包括政党である真正ホイッグ党から歴代大統領が選出されることが100年以上にわたり慣例化していた。
 このアメリコ・ライベリアン体制は、アメリカ合衆国憲法にならった選挙に基づく立憲共和体制を取りつつ、人口的少数派のアメリコ・ライベリアンが先住諸部族に参政権を認めず、ゴム生産を経済基盤にアメリカ資本(特にタイヤ資本)に従属する形で寡頭支配するという、言わば黒人間でのアパルトヘイト体制構造を特色とした。
 しかし、1944年から71年まで史上最長の任期を務めたウィリアム・タブマンと後任のウィリアム・トルバートの両大統領の時代に先住諸部族の参政権を含めた権利の向上が図られ、歴史的な構造に変化が生じる。とりわけ、アメリコ・ライベリアン支配最後のトルバート政権の時代は様々な点で、ライベリアの転換期となった。
 トルバートは長年の支配政党真正ホイッグ党内や支持勢力の反対を押して、憲法改正により大統領任期を8年に限定し、先住部族の登用をより積極的に進めた。75年には左派系のライベリア進歩連盟を合法的野党として認可し、事実上の一党支配体制も転換した。
 トルバート政権は、外交政策に関しても、タブマン前政権同様にアメリカのベトナム戦争を支持し、親米政策を堅持しつつ、従来の親米一辺倒政策を修正し、ソ連やキューバ、中国、その他の東側諸国との多角的な外交関係の構築に動き、パレスチナ人の権利を擁護した。
 こうした外交政策の変化は経済にも反映され、長くリベリアのゴム産業を特権的に支配してきた米系資本ファイアストン社に会計検査と厳正な徴税を行う一方で、リビアやキューバなど「反米」諸国からの経済援助を受け入れるようになった。
 このようなトルバート政権による内外政策全般に及ぶ改革は、建国以来、差別構造の上に築かれてきたアメリコ・ライベリアン支配の安定性に動揺をもたらしたことは否定できない。特に、先住諸部族の権利向上政策は長く被差別状況に置かれてきた先住諸部族を覚醒させ、革命に土壌を提供することになったであろう。


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