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晩期資本論(連載第73回)

2015-11-03 | 〆晩期資本論

十五ノ2 土地の商品化

 マルクスは地代に関する分析に関連づけて、地代とは独立して形成され得る土地価格(地価)の問題にも言及している。そこにおいて、彼は三つの大きな法則を立てる。

Ⅰ 土地の価格は、地代が上がらなくても上がることがありうる。すなわち、
1 単なる利子率の低下によって。そのために地代はより高く売られるようになり、したがってまた、資本還元された地代、土地価格は上がるのである。
2 土地に合体された資本の利子が増大するので。

 原理上、地価=資本還元された地代と定式化すれば地価は年間地代を年利子率で割った商で表わされるから、利子率の低下は地価上昇を促進することになる。1980年代末の日本で、85年プラザ合意を契機とする低利子がその後、地価高騰によるバブル経済を惹起したのも、一つにはこの法則による。

Ⅱ 土地価格は、地代が増大するために上がることがある。

 これは比較的オーソドックスな地価上昇局面であるが、土地生産物の価格変動に対応していくつかの場合がある。

地代は、土地生産物の価格が上がるために増大することがありうる。この場合には、最劣等耕作地での地代が大きくても小さくても、または全然存在しなくても、つねに差額地代の率は高くなる。

 差額地代率とは、「土地生産物を生産する前貸資本にたいする、剰余価値のうちから地代に転化する部分の割合」をいい、「差額地代を生む土地種類では生産物中のますます大きくなる一部分が余分な超過生産物に転化するということのうちに、この率が含まれている」。

土地生産物の価格が変わらなければ、地代は・・・・・・ただ次の二つの理由のどちらかによってのみ増大することができる。すなわち、一つには、旧来の地所での投下資本量は不変で、より良質な新たな地所が耕作されるという理由によってである。

 要するに、新地開墾の場合である。「この場合に旧来の地所の価格は上がらないが、新たに着手される土地の価格は旧来の地価よりも高くなる」。

あるいはまた、相対的な豊度も市場価格も変わらないが、土地を利用する資本の量が増大するという理由によって、地代は増大する。

 これはつまり、現地所で逐次的投資がなされる場合であるが、差額地代率が同じでも投下資本量が倍増すれば、地代も押し上げられる。この場合、「(土地生産物の)価格の低下は起きていないのだから、第二の投資も第一の投資と同じに超過利潤をあげ、これは借地期間の経過後にはやはり地代に転化する」。

・・・土地の価格は、土地生産物の価格が下がる場合でも、上がることがある。
この場合には、差額の増大によって優等地の差額地代が増大し、したがってまたその土地の価格が増大したということもありうる。または、そうでない場合には、労働の生産性が上がって土地生産物の価格は下がったが、生産の増加がこれを補って余りあるということでもありうる。

 前者は土地改良により優等地の地代が上昇した場合、後者は労働生産性が上昇し、最劣等地でも生産物量が増大する場合である。

Ⅲ ・・・以上に述べたことから次のように結論される。すなわち、地価の上昇から無条件に地代の上昇を推論することはできないし、また、地代の上昇はつねに地価の上昇を招くとはいえ、地代の上昇から無条件に土地生産物の増加を推論することはできないということになる。

 ここまでの法則定立に関して、マルクスはいつものように原論的な方法論をとり、「競争上の変動や土地投機はすべて無視することにする。あるいは、・・・・・・・・小さな土地所有も問題にしないことにする。」と断っているが、小土地所有の例外則については、後の箇所で検討している。

すでに見たように、地代が与えられていれば地価は利子率によって規制されている。利子率が低ければ地価は高く、逆ならば逆である。だから、正常な場合には高い地価と低い利子率とが連れ立って行くはずであって、もし利子率が低いために農民が土地に高く支払うとすれば、同じ低利子率はまた彼にも有利な条件で経営資本を信用で提供するはずであろう。現実には、分割地所有が優勢であれば事態はそうではなくなってくる。

 先に見た法則Ⅰは分割地所有による自営農には妥当しない。自営農にとっては土地所有は生活条件でもあるが、「このような場合には、土地所有にたいする需要が供給を越えることによって、地価は利子率とは無関係に、またしばしば利子率に反比例して、引き上げられる」。

それだからこそ、このような、生産そのものには無関係な地価という要素が、・・・・・生産を不可能にしてしまうまで上がることがありうるのである。・・・・
地価がこのような役割を演ずるということ、土地の売買、商品としての土地の流通がこの程度まで発展するということは、実際には資本主義的生産様式の発展の結果である。

 すなわち土地の商品化である。マルクスは原理上、労働生産物だけを商品と呼ぶが、ここではより広い意味で土地を商品をみなしている。マルクスはこのような土地の商品化が、「まさに農業がもはや、またはまだ、資本主義的生産様式のもとに置かれておらず、すでに没落した社会形態から伝来した生産様式のもとに置かれている」ような、農業資本主義の未発達な段階で起こるとみている。

・・・・この場合には、生産者が自分の生産物の貨幣価格に依存するという資本主義的生産様式の不利が、資本主義的生産様式の不完全な発展から生ずる不利といっしょになる。農民は、自分の生産物を商品として生産することができるような条件なしに、商人となり産業家となるのである。

 このような自営小農経営の矛盾は、農業の資本化が未発達なまま、農産物の市場開放による国際競争にさらされようとしている現代日本の農業状況においては、明瞭に顕在化しつつあると言える。


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