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近代科学の政治経済史(連載第25回)

2022-11-07 | 〆近代科学の政治経済史

五 電気工学の誕生と社会変革(続き)

「電流戦争」と電化社会
 直流/交流の送電方式をめぐり、直流派の発明王エジソンが交流派を相手に繰り広げた紛争は俗に「電流戦争」とも呼ばれ、現代の映画の題材にすらなったが、これはエジソンが前身社を創業したゼネラル・エレトリックと、エジソンと対立した交流式の発明者テスラから特許を取得したウェスティング・ハウスという二大電気資本間の競争でもあった。
 紛争の発端は、電流が常に同方向にのみ向かう直流送電と電流が時間の経過とともに電圧や方向を変える交流送電という送電技術の優劣をめぐる技術的な紛争であったが、資本が絡むことで経済効率をめぐる競争ともなった。
 エジソンの直流送電システムは白熱灯が電気需要の中心だった電力事業の黎明期には主流的であったが、電圧を自在に変えられないため、電圧ごとに別の架線を要するなど、送電網を拡大するうえでは非効率であった。
 それに対し、テスラの交流送電は変圧器で電圧を自在に変化させられる点が最大のメリットであり、電気抵抗による送電損失を減らし、送電範囲の拡大や安定性を確保する点で分があり、「電流戦争」は交流式に軍配が上がる。ゼネラル・エレクトリックさえも、最終的には交流式を採用するに至った。
 ただ、この争いは交流式が直流式を排除したという単純な結末で終わらない。後に電力用半導体素子の開発によって、交流から直流へ、反対に直流から交流へ変換するパワーテクノロジーが登場すると、両方式は互換性を持つようになり、両者の対立は技術的に止揚された。
 現代の電化社会では、発電、送配電などの主軸的な電力供給システには交流式を用い、電子機器内の直流を必要とする段階で半導体回路により直流式に変換するという形で併用することが一般的であり、現代電化社会は両方式を止揚的に統合している。こうして、「電流戦争」は20世紀以降の電化社会の基盤を整備する役割を果たしたと言えるだろう。

電気椅子処刑の「発明」
 「電流戦争」はエジソンによって、交流式を貶めるネガティブ・キャンペーンが大々的に打たれた点でも熾烈な紛争であったが、彼が交流式の感電危険性を訴えるために電気椅子の実験を企画したことで、電気椅子による死刑執行という副産物を産んだ。
 死刑執行に電流を持ちいるという奇抜なアイデア自体はニューヨーク州の発明家で歯科医でもあったアルフレッド・サウスウィックの発案であり、当時の処刑法であった絞首の反人道性を訴えるキャンペーンに応じて、ニューヨーク州が電気処刑を採用した。
 その際、電気処刑用の交流式電気椅子を開発したのが、エジソンの協力者となった技術者・発明家のハロルド・ブラウンであった。彼はエジソンの反交流式キャンペーンのために雇われて交流式電気椅子を開発したが、それが彼らの意図を超えて、より〝人道的な〟死刑執行方法として州政府によって採用される結果となったのである。
 ニューヨーク州による最初の電気椅子処刑は1890年、殺人犯のウィリアム・ケムラーなる死刑囚に対して行われた。立会人らによれば、その光景は悲惨なもので、とうてい〝人道的〟とは言い難いものだったことが記録されている。
 結果として、エジソンの反交流式キャンペーンが功を奏したかに見えたが、意外にも、電気椅子処刑法は廃止されなかったどころか、他州にも広がり、絞首に代わる一般的な処刑法にさえなったのであった。
 これは「電流戦争」の思わぬ派生事象であるとともに、電気工学と政治・司法との最も奇妙な関わりを示しているが、電気椅子処刑はアメリカ以外の国には普及せず、アメリカでもその反人道性が懸念され、1980年代以降は薬物処刑に代替されていく。


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