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近代革命の社会力学(連載第162回)

2020-10-27 | 〆近代革命の社会力学

中間総括Ⅰ:第一次世界大戦と革命

 近代の始まりを成す近世の諸革命は限界をさらしていた中世の封建的な社会を変革する動きであったが、18世紀におけるアメリカ独立革命及びフランス革命という二つの大革命を契機に、立憲主義と共和主義という二つの革命的な理念が誕生し、近代革命の大きな潮流を作り出した。それは諸国をブルジョワ資本主義の道へ向かわせた。
 そうした中、20世紀初頭に勃発した第一次世界大戦は、欧州から米州にまたがる当時の主要な大国が、その植民地をも巻き込む形で国力を総動員して交戦するという人類史上初の国際的な大戦争であった。それだけに、戦勝側・敗戦側いずれにおいても人的・物的損耗は激しかった。そのことが、いくつもの大国における革命を誘発する直接的な動因契機となった。
 まずは、形の上で戦勝国側にいたロシア帝国である。ロシア革命を起点に、敗戦側のドイツ、オーストリア‐ハンガリーへと革命が波及していったことは、すでに見たとおりである。これらの帝政国家で帝政が打倒された革命は、第一次世界大戦なくしてはあり得なかったと言って過言でなかっただろう。
 大戦では、戦場に動員された貧農や労働者階級の兵士が最も犠牲になっており、兵士の厭戦は体制への怨嗟につながった。幸運にも生きて復員した兵士らには生活難が待ち受けており、こうして形成された不満を持つ兵士階級が革命において重要な担い手となったのである。
 さらに、総力戦は、ロシア、ドイツ、オーストリア‐ハンガリーなどの後発・新興資本主義国の経済には耐え難い打撃となり、このことは革命への物質的な動因を形成した。反面、先発資本主義国である英・仏などの大国では、経済が持ちこたえたため、大戦が革命を誘発することはなかったとも言える。
 こうした意味では、大戦中、革命を志向する社会主義勢力内部で、ボリシェヴィキのレーニンをはじめ、間もなく共産党の結成に動いていく急進革命派が反戦論を強力に展開し、保守勢力とともに参戦派に与した穏健派と対峙していたことは、皮肉であった。かれらの主唱どおりに大戦が勃発せず、あるいは大戦が短期で終結していれば、かれらが志向した革命もまた不発に終わっただろうからである。
 第一次世界大戦はまた、アジア・アフリカ方面でも間接的に革命を誘発した。エジプト独立‐立憲革命やトルコ共和革命はそうした一例である。エジプトの革命は、当時エジプトを実質的に支配していた英国の大戦後の斜陽化を背景としていた点では、大戦の直接的な余波の一つに数えてよいかもしれない。
 600年余にも及んだオスマン帝国を打倒したトルコの革命も、大戦で帝政ドイツと並び、最大級の敗者となったオスマン帝国の体制が持ちこたえられなくなり、一定の時間を置いて誘発された革命であったと言える。
 こうして、直接か間接かの違いはあれ、第一次世界大戦は世界の主要国において、今日の世界秩序にまでその効果が及ぶ大規模な革命を誘発し、その衝撃波はその後、20世紀を通じて世界各地で革命が継起する流れ―革命の20世紀―を作り出す画期点となった。
 こうした第一次世界大戦を契機とする諸革命の中でも、ロシア十月革命の影響は甚大であり、この革命の過程で誕生した共産党という新しい政党が、その世界センターであるコミンテルンを通じてアジア・アメリカ大陸を含む世界に広がり、各国で社会主義革命運動の中核を担うようになった。
 ただ、第一次世界大戦を契機とする革命の潮流はトルコ革命を最終としてひとまず一段落し、以後、第二次世界大戦までの戦間期にはさほど大きな革命事象は見られず、1930年代にいくつかの諸国で挫折例を含む革命が散発するにとどまり、次の大きな革命の流れは第二次大戦後、1949年の中国大陸革命以降まで持ち越しとなる。


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