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近代革命の社会力学(連載第185回)

2020-12-30 | 〆近代革命の社会力学

二十六 グアテマラ民主化革命

(5)反革命クーデターから「30年軍政」へ
 民主化革命後、二度目の大統領選挙となった1950年大統領選挙には、革命の立役者であった国防相のアルベンスが満を持して立候補した。前々回見たように、アルベンスはマルクス主義に共感的であったが、マルクス主義者ではなく、むしろ半封建的な大土地所有制を土台とするグアテマラを近代的に変革することを公約していた。
 にもかかわらず、アルベンスの真意を疑うアメリカは、保守系候補者の勝利を画策して、諜報工作によって選挙干渉を企てたため、選挙は複数回の決選投票に持ち込まれたが、最終勝者はアルベンスに確定した。
 こうして、革命後の革新民政の枠組みは継承されることとなったが、アルベンス政権は前アレヴァロ政権に比べ、より革新色が強まったことは否めない。それというのも、アルベンスにはアメリカが疑ったように両義的な面があり、中和的なアレヴァロよりも踏み込んだ構造的変革を構想していたからである。
 中でも、農地改革が最大の目玉政策となった。これはすでにアレヴァロ前政権下で着手されていたが、いささか微温的だった未耕作地の有償での収用と農民への再配分政策をさらに拡大する施策である。この施策は成果を上げ、一年半で150万エーカーの土地の再配分を達成した。
 しかし、アルベンス政権のもう一つの目玉政策、外資依存排除は最終的に政権の命取りとなった。この当時、グアテマラにおける最大の外資は中南米で砂糖やバナナのようなトロピカルフルーツの栽培プランテーションを手掛けるユナイテッド・フルーツ社(UFCO)であり、同社は民間資本ながら、アメリカの中南米支配を支える準国策企業でもあった。
 同社は当時のグアテマラにおいて、未耕作地の大半を所有する最大の法人地主となっており、農地改革における最大の障害でもあった。アルベンス政権は外資依存排除の観点からも、UFCOを農地改革対象から除外しない方針で臨んだ。
 しかし、UFCOは基準時における土地評価額相当の補償という農地収用の条件に抵抗し、アメリカ政府もこれを問題視し始めた。ここにおいて、当時の国際社会における力学が作動し始める。
 当時は東西冷戦の初期に当たり、アメリカでも第二次大戦の立役者である軍人出身のアイゼンハワーが大統領に当選し、ソ連とその同盟国、さらには潜在的な親ソ国に対し、軍事手段を含む強硬姿勢で臨む反共政策(巻き返し政策)を実施しようとしていた。
 この政策の最初の適用対象は、1953年のイランで、英米石油資本を排除して石油国有化を目指したモサデク政権を倒した軍事クーデターであった。この際は、米軍が直接介入せず、イラン軍部を支援してクーデターを起こさせるという手法によった。
 これを先例として、アメリカはアルベンス政権の転覆計画に着手する。その準備として、証拠もなくアルベンス政権を共産主義と結びつける宣伝工作を開始したうえで、グアテマラ人が指揮する反革命軍を隣国エルサルバドルで軍事訓練した。
 アルベンス政権が対抗上、軍備増強を図ると、アメリカは兵器禁輸措置の制裁で応じ、アルベンス政権が当時ソ連陣営のチェコスロヴァキアからの兵器調達を試みたことの揚げ足を取り、アルベンス政権を共産主義と決めつけた。
 対立が頂点に達した1954年5月、グアテマラが対米断交という措置に出ると、翌月、エルサルバドルで樹立宣言された「グアテマラ反共臨時政府」を承認・支援するという形で、アメリカはCIAを通じて反革命軍による侵攻・制圧作戦をバックアップした。
 軍備が貧弱なグアテマラ軍は反撃力を欠き、戦意を喪失した軍部からの支持を失ったアルベンスは辞職し、海外へ亡命した。新たに政権に就いたのは反革命軍の指揮官で、1949年の反乱事件で死亡したアラナ軍総司令官の支持者でもあった亡命軍人カルロス・カスティージョ・アルマス元大佐であった。
 カスティージョは三年後に暗殺されるが、彼の政権は革命の成果を反故にするとともに、強制収容、超法規的処刑や強制失踪などの不法な手段によって徹底的な革命派排除作戦を展開し、これは後継の軍事政権に継承されていく。
 この後のグアテマラでは、1986年の民政移管に至るまで、反共で固まった軍部がその内部に権力闘争を抱え、頻繁なクーデターによる政権交代を繰り返しながら、時に文民大統領を傀儡に立てつつ、ファシズムに傾斜した軍事独裁統治を30年以上にわたり行った。こうして10年にわたったグアテマラ民主化革命は、冷戦期の国際力学の中で、挫折していった(「30年軍政」については過去の拙稿参照)。
 旧革命派は1960年代以降、武装ゲリラ組織を結成し、農地改革を通じて政治的に覚醒した先住民を支持層に取り込みつつ、軍政と対峙したため、「30年軍政」時代の大半は凄惨な内戦を伴うものとなり、反乱鎮圧を名目とする先住民ジェノサイドが発生するなど、現在までトラウマを残す時代となった。


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