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近代革命の社会力学(連載第423回)

2022-05-06 | 〆近代革命の社会力学

六十 メキシコ・サパティスタ革命

(2)メキシコ革命理念の後退
 20世紀初頭の革命から80年近い年月を経た20世紀末のメキシコで、再びサパタの名を冠する革命が発生した背景として、冷戦終結後、革命理念の大きな後退が見られたことがある。
 メキシコでは、1929年以降、革命によって誕生した制度的革命党(PRI)による支配の時代に入るが、この間、メキシコ革命はまさに党名通り、制度化され、動的性格を喪失していった。言わば、革命の物象化が長期間をかけて進行していったのである。
 PRIは労働組合や農民団体を傘下に収めた社会主義的な傾向を帯びつつも、社会各層に支持基盤を持つ包括政党として大統領及び議会の各選挙で常勝し、1929年の結党以来、連続して政権与党の座にあった。この体制はソ連型の一党支配とは異なるものの、複数政党制を形骸化させる一党集中体制であった。
 このPRI体制下で最も劣勢に置かれたのは、地方農民層を形成する先住民であった。20世紀初頭のメキシコ革命ではエミリアーノ・サパタ率いる農民革命運動の影響が強く、その理念は1917年の革命憲法(現メキシコ憲法)にも色濃く反映されながら、結局はサパタの暗殺により、農民革命としての要素は希釈化されていった。こうして、農民≒先住民問題はメキシコ革命の積み残された課題となった。
 そこへ、冷戦終結、ソヴィエト連邦解体後のイデオロギー的な激変がメキシコにも及び、大土地所有制を廃して農民による共同用益制(エヒード制)を定めた革命憲法の目玉条項(第27条)が改正され、エヒードの私有地への転換と売却が可能とされたことは、革命理念の大きな後退であった。
 時のカルロス・サリナス大統領が率いたPRI政権は、PRI本来の社会主義的傾向を清算し、いわゆる新自由主義イデオロギーへの適応化を目指しており、それは通商政策においても、北米自由貿易協定(NAFTA)への参加という形で表れていた。実は、先の憲法27条の廃止もNAFTAにとって障害となり得る土地規制の撤廃という観点から実行されたものであった。
 この政策的大転換によって、先住民層が農地の喪失と海外からの安価な農産品の流入という二重の苦境に直面する恐れが現実化してきたことは、新たな革命への強い動因となり、NAFTA発効日である1994年1月1日という象徴的な日付の武装蜂起へと至ったのである。
 とはいえ、PRI体制は1960年代から80年代初頭にかけて、米国の支援の下、急進的な反体制ゲリラ組織に対する弾圧的な武力掃討作戦(いわゆる「汚い戦争」)を展開し、有力な各組織を壊滅・弱体化させたので、EZLNによる1994年の武装蜂起は不意を突かれたものであった。
 しかし、EZLN拠点のチアパス州は先住民貧農の比率が高いうえ、PRI末端の自警団による人権侵害の多発など、革命の素地は存在していたのであり、蜂起は偶発的な暴動事件ではなかった。


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