ザ・コミュニスト

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(26)

2015-06-28 | 〆リベラリストとの対話

24:共産主義的教育について②

コミュニスト:前回の対論で、私の教育論には「資本主義社会=知識階級制」という先入見があるようだと指摘されましたね。

リベラリスト:はい。実際、『共産論』の中で、「発達した資本主義社会の実情はと言えば、それは高度の知識分業化を前提に、各界に各種スペシャリストが配され、こうした知識人・専門家が一般大衆の上に立って社会をリードするという形で成り立っている。ここから、一種の知識階級制のようなものが発展してくる。すなわち知識獲得競争に勝ち残った者が社会の指導エリート階級となり、負けた者は被指導階級となる」というドグマを立てておられますね。

コミュニスト:たしかにそうです。しかし、それは私の観念的なドグマでなく、真実ではありませんか。

リベラリスト:「知識人・専門家が一般大衆の上に立って社会をリードする」というのは「知識人・専門家」に対する過大評価だと思います。あるいは一般大衆の間にそういう意識があるかもしれませんが、それは真実ではありません。

コミュニスト:そうでしょうか。では、無学歴者が社会をリードすることができていますか。

リベラリスト:残念ながら、私の祖国アメリカではそうなっていません。ただ、これはアメリカ社会特有の知識格差問題でもありますので、資本主義社会全般には妥当しないでしょう。

コミュニスト:私はそのように地域限局的には考えません。日本も含め、形は違えど、資本主義社会は資本制企業経営陣を含めた知識人・専門家主導社会です。だからこそ、親たちも子に学歴をつけさせようと必死になるのです。

リベラリスト:だからといって、大学制度を「知識階級制」の牙城とみなして解体するというあなたの議論は極端過ぎます。むしろ、大学の門戸開放をこそ図るべきです。

コミュニスト:世界一を誇るアメリカのエリート教育を修了したあなたにとって、大学は人生そのものかもしれません。しかし大学の門戸開放は無理です。大学は、特別に選抜された者だけが入学を許される高等教育―階級教育―の場だからです。

リベラリスト:それは悲観的に過ぎますね。もっとも、あなたは大学に代えて多目的大学校なる制度を提案しておいでです。私の感じでは、この制度はアメリカにあるコミュニティー・カレッジを想起させますが、これは大学とは本質的に異なる教養的なカレッジです。

コミュニスト:それこそ、共産主義的教育の萌芽だと思います。全員に等しく開かれた生涯教育機関として、大いに参考になります。

リベラリスト:あなたはその一方で、高度専門職学院なる制度も提案され、医療者や法曹等の高度専門職の養成機関にしようとしています。これは、ある種のエリート教育の場になるのではないでしょうか。

コミュニスト:高度専門職=エリートではありません。実際、専門職学院に進学できるのは、芸術やスポーツの分野を除き、一定期間の就労経験を持つ者、日本流に言えば「社会人」です。学業成績だけに依拠した特別選抜教育の場ではないのです。

リベラリスト:その制度も、アメリカのメディカルスクールやロースクールにやや似ているようですが、これらは四年制大学を修了していることが入学要件です。労働者から医師へ、というコースは現実的にも無理ではないでしょうか。

コミュニスト:よくぞ言ってくれました。まさに、それこそ知識階級制と知識共産制の分かれ目なのです。知識共産制に基づく教育は、労働者から医師へのコースを普通に可能とします。

リベラリスト:揚げ足を取られましたか。たしかに、そういう華麗な転進が可能な社会は一つの理想ではあるでしょう。知識人・専門家の出身階層を広げる努力は資本主義社会の下でも怠るべきではないという限りでは、同意することができます。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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