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資本主義らしさ

2013-07-06 | 時評

日本経済もようやく資本主義らしくなってきた。アベノミクスへの賛否が今般の参院選の主要な争点だというが、アベノミクスの中身とは要するに「資本主義の純化」ということにほかならない。

円安&株価上昇で、輸出企業の業績と富裕層の資産価値を増大させ、ブルジョワ層を徹底的に伸ばすことで、経済を成長軌道に乗せようという作戦である。反面、下層中流層以下は置いて行かれる。

こうした政策は、かつて同じ党が半世紀前に打ち出した「所得倍増計画」とは対照的である。半世紀前には、国民全般の所得水準を底上げすることで経済成長を図るという作戦であったが、今度は大企業・富裕層の資産増大で成長を促す作戦である。

こうした言わば「置いてけ堀」経済はしかし、まさに資本主義本来の姿だ。資本主義は市場経済に順応できる強者をいっそう強くし、市場にとって足手まといとなる弱者を切り捨てることを厭わない。アベノミクスに反対して、「弱者に優しい資本主義」があるかのように宣伝するのは、資本主義に関する幻想を振りまくだけである。

資本主義は今、世界中に拡散し、国内的にも爛熟期を迎えようとしている。ちょうど熟し切った木の実が朽ちて落ちるように、資本主義にとっても爛熟は終わりの始まりでもある。

アベノミクスの推進は、その支持者の意図とは裏腹に資本主義の命脈を短縮することになるのだから、むやみに反対し妨害すれば、かえって資本主義を中途半端に延命することになる。「奪いたければ、しばらく与えよ」(老子)である。


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