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老子超解:第八十一章 小国寡民

2013-07-12 | 〆老子超解

八十一 小国寡民

小さくて人口の少ない国、そこでは種々の用具があっても使わせず、民衆をして死を敬重させ、遠方に移動させないようにするから、舟や車があっても、乗る必要がなく、甲や武具があっても、見せびらかす必要もなかろう。
人々をして再び縄を結んで文字として使わせ、手製の料理を旨いと感じさせ、手製の服を美しいと感じさせ、自作の住居に安住させ、自分たちの習俗を楽しむようにさせるから、隣国同士がすぐ見えるところにあり、鶏や犬の鳴き声が互いに聞こえるようであっても、民衆は老いて死ぬまで、互いに往来することもなかろう。

 

 本章は通行本では最後から二番目の第八十章に当たるが、内容上は哲理篇及び政論篇の全趣旨を踏まえつつ、老子の理想の社会像を具体的に示したものとして、全篇の最後を飾るにふさわしい章である。
 ここで詩的な表現を用いて描かれているのは、「国」というよりは先史共同体に近い理想郷であって、老子の原始共産主義への傾斜をはっきりと物語っている。歴史‐社会観においても、老子の「復帰」の思想は一貫している。
 しかし、それは決して反動的な復古主義ではなく、むしろ前章までに説かれていた「無事革命」を通じて達成されるような理想郷なのである。
 具体的に見ると、老子的理想郷は自給自足の小さな農村共同体であるが、万人直耕の原始農耕社会ではない。その点では、農家思想や安東昌益などとも異なる。
 また、しばしば老子と結びつけられる「反文明」というモチーフも見られない。前段にあるとおり、老子的理想郷には舟や車、甲や武具も備わっているから、決して未開の石器時代的社会ではない。文明の利器は備わっているが、それに依存しない知足の定常経済社会こそ、老子の理想なのである。
 ちなみに『毛沢東語録』にも収録された一節において、毛は共産党委員会の委員同士の連絡を密にすべきことを説く中で本章末尾の一文を引き、連絡不通の象徴として揶揄しているが、自足的な定常経済社会同士では交換(交易)もしないから、互いに往来する必要もないのである。
 老子を揶揄した毛が建設し、大国多民の成長経済社会をいく現代中国に、老子流小国寡民を顧みる余裕はないであろう。老子は同時代的にも、現代的にも、反時代流の人なのである。(連載了)


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