ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

晩期資本論(連載第68回)

2015-10-05 | 〆晩期資本論

十五 農業資本の構造(1)

 『資本論』第三巻が最後に取り上げる大きな論題は、農業問題である。農業といっても、ここで取り上げる農業は土地所有農民による家族営農ではなく、資本主義的に経営される農業である。典型的には、大資本が土地所有者から農地を借り受けて大規模に営む集約農業である。しかし、このような型の農業は今日ですら世界で主流化しているとは言えず、ここでのマルクスの議論は未来先取り的な原理論の色彩が強い。

土地所有は、ある人々がいっさいの他人を排除して地球の一定部分をかれらの個人的意志の専有領域として支配するという独占を前提する。これを前提すれば、問題は、資本主義的生産の基礎の上でのこの独占の経済的価値、すなわちその経済的実現を説明することである。

 農業資本の土台は、土地の近代的所有にある。マルクスは別の箇所で、これをひとことで「地球の私有」と表現している。「われわれにとって土地所有の近代的形態の考察が必要であるのは、要するに、農業における資本の投下から生ずる特定の生産・交易諸関係を考察することが必要だからである。この考察がなければ、資本の分析は完全ではないだろう」。

資本主義的生産様式の大きな成果の一つは、この生産様式が一方では農業を社会の最も未発展な部分のただ経験的な機械的に伝承されるやり方から農学の意識的科学的な応用に、およそ私的所有とともに与えられている諸関係のなかで可能なかぎりで転化させるということであり、この生産様式が土地所有を一方では支配・隷属関係から完全に解放し、他方では労働条件としての土地を土地所有からも土地所有者からもまったく分離して、土地所有者にとって土地が表わしているものは、彼が彼の独占によって産業資本家すなわち借地農業者から徴収する一定の貨幣租税以外のなにものでもなくなるということであ(る)。

 冒頭でも注記したとおり、このような本格的な借地農業資本はいまだに全般化はしていない。ただ、人口増大による食糧難に直面する途上国では多国籍食品資本(穀物メジャー)による借地農業経営(リースバック型も含む)が進行してきている。また日本のように協同組合型の家族営農を基本としてきたところでも、農家継承の困難と市場開放の圧力に直面する中、農協制度の形骸化が進み、農業法人のような資本主義的営農の制度が立ち現われてきている。

・・特殊な土地生産物の栽培が市場価格の変動に左右されること、また、この価格変動につれてこの栽培が絶えず変化すること、そして資本主義的生産の全精神が直接眼前の金もうけに向けられていること、このようなことは、互いにつながっている何代もの人間の恒常的な生活条件の全体をまかなわなければならない農業とは矛盾している。

 資本主義的農業経営は、いやがおうにも作物の栽培を市場変動と利潤獲得競争の中に巻き込むが、それは食糧生産という人間の生活条件を支える営為とは本来矛盾するという批判的指摘である。

資本主義的生産様式の場合、前提は次のようなことである。現実の耕作者は、資本家すなわち借地農業者に使用されている賃金労働者であって、この借地農業者は、農業を、ただ資本の一つの特殊な搾取部分として、一つの特殊な生産部面での彼の資本の投下として経営するだけである。この借地農業者‐資本家は、この特殊な生産部面での自分の資本を充用することを許される代償として、土地所有者に、すなわち自分が利用する土地の所有者に、一定の期限ごとに、例えば一年ごとに、契約で確定されている貨幣額を支払う。

 これが近代的地代であり、地代とは「資本主義的生産様式の基礎の上での土地所有の独立・独自な経済的形態」と定義される。「さらに、ここでは近代社会の骨格をなしている三つの階級がみないっしょに互いに相対して現われている。―すなわち賃金労働者と産業資本家と土地所有者である」。この三者が近代資本主義社会に共通する三大階級である。

地代が貨幣地代として発展することができるのは、ただ商品生産という基礎の上だけでのことであり、もっと詳しく言えば、ただ資本主義的生産という基礎の上だけでのことである。そして、それは、農業生産が商品生産になるのと同じ度合いで、したがって非農業生産が農業生産にたいして独立に発展するのと同じ度合いで、発展する。なぜなら、それと同じ度合いで、農業生産物は商品となり、交換価値となり、価値となるからである。

 こうした資本主義的農業における地代は、商品生産としての農業生産が生み出す剰余価値の転化部分を成す。この場合、地代を取得する「土地所有者は、ただ、剰余生産物および剰余価値のうちの・・・・・彼の関与なしに大きくなって行く分け前を横取りしさえすればよいのである」。このような借地農業資本における剰余価値としての地代論が、以降の中心テーマとなる。


コメント    この記事についてブログを書く
« 近未来日本2050年(連載... | トップ | 晩期資本論(連載第69回) »

コメントを投稿