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日本共産党―「孤高の党」で結構

2023-02-10 | 時評
日本共産党内から、党首選挙制や自衛隊合憲論、日米安保条約容認論等を提起した古参党員(松竹伸幸氏)が除名処分となった。こうした党内異論分子に対する即時除名は、日本に限らず、世界の共産党の結党以来の慣行であるから驚くに当たらない。
 
ただ、日本共産党にあっては、従来は旧ソ連や中国の動向を絡めた党のイデオロギー的な路線対立を巡っての除名が多かったところ、今回は様相が異なる。
 
松竹氏が提起した問題は、いずれも共産党が「普通の党」に転換するかどうかという党の存亡にも関わる事柄である。現在のところ、「たった一人の反乱」のように見えるが、今般の除名騒動は党内外で尾を引き、今後の国政選挙にも影響するかもしれない。
 
現在、日本共産党が革命による共産主義社会の実現という本来的な目標をもはや棚上げして「発達した資本主義社会」の議会制度に同化適応し、共産主義社会をある種のロマン的理想郷としてしか想起しない中、党の立ち位置も揺れているのは確かである。すなわち、「孤高の党」を貫くか、それとも「普通の党」に転換するか、である。
 
近年の「野党連合」戦略は、「孤高の党」を一歩抜け出して、おずおずとではあるが、「普通の党」に向きを変えようとする新戦略とも言えるが、完全に「普通」化したわけではないため、共産党と「連合」相手党双方にぎごちない躊躇があり、中途半端なものにとどまっている。
 
その点、筆者の誤解でなければ、松竹氏の提起は、とりわけ溝の深い安全保障分野について、共産党の側が「連合」相手党に大幅譲歩し、自衛隊も日米安保も容認しつつ「普通の党」となって他の野党との「連合」をしやすくしようというもので、このような党内異論は「野党連合」という党自身による新たな取り組みとその不調から、ある程度予見された副産物でもあろう。
 
こうした問題に関する私見は「孤高の党」で結構、というものである。「野党連合」も無用である。そうした政権獲得への欲望があらゆる政治組織を変節・腐敗させることは世界の経験則であり、晴れて政権党にのし上がった海外の共産党を見ても、そのことは明瞭である。
 
まして、基本政策綱領の変更は、かつて日本社会党が辿った道と同様、従来の非武装平和主義路線を放棄して現実容認に転じる道であり、その結果は実質的な党の消滅あるいは他党への吸収である。
 
革命という歌を忘れたカナリアとなった共産党が資本主義社会でどうにか生き残るには、他党とは一線を画す愚直な平和と福祉の党としての存続以外に道はないだろう。「現実主義で躍進する」は不満分子が陥りやすい幻想である。
 
ただし、党首職(日本共産党では中央委員会幹部会委員長)の在任期間はいかにも長すぎる。日本共産党に限らず、世界の共産党の多くはレーニンが定めた民主集中制という名の中央集権指導制の原理を今も固守しており、分派活動を厳禁するため、派閥形成につながりやすい党首選挙は行わず、党首の選出は事実上中央指導部による決定によるのが通例である。
 
そのため、党首職の在任期間が長期化しがちであり(しばしば終身)、志位和夫委員長もすでに在任20年を越えている。その点で、他のどの政党よりも世代交代―民主主義の要の一つ―を欠いた党運営がなされていることは、党がいかに反駁しようと否定のしようがない。*さらに言えば、党内異論分子排除の慣行も異論に対して開かれた民主的党運営とは言い難く、意見の複数性を容認した旧ソ連共産党末期のゴルバチョフ指導部より後退的である。
 
選挙制はともかく、委員長職に厳格な任期制限を導入し、一定期間を経て世代交代をしていかなければ、党の硬直化は避け難いだろう。そのことは、国政選挙の結果にも影響してくるに違いない。今般の騒動が議席ゼロへの道とならないか、老婆心ながら憂慮する。
 
 
 
※筆者はコミュニストながら、共産党を含め、国内外のいかなる既存政党・政治団体にも属していないので、本稿で示したのは完全なるアウトサイダーとしての管見である。参考拙稿:牙を抜いた共産党

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