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近代科学の政治経済史(連載第45回)

2023-02-10 | 〆近代科学の政治経済史

九 核兵器科学の誕生と隆盛

19世紀末以降における物理学の発達、中でも放射線の発見に始まり、原子のようなミクロな物質構成要素の解析に立ち入る核物理学の発達は、その当事者の多くがノーベル賞受賞者となる画期的研究成果とともに、時の国際情勢に影響されて、軍事科学における革新をもたらした。とりわけ、第二次世界大戦で原子爆弾が開発・実戦使用されたことのインパクトは決定的であり、以後、東西冷戦という新たな国際情勢の中、アメリカ、ソヴィエトを中心とした諸国による核兵器の研究開発競争が激化していった。当然、それには物理学、広くは科学の寄与があり、「核兵器科学」と呼ぶべき軍事科学の特殊分野が誕生したと言える。それは科学が効率的な大量殺戮に奉仕するという科学の歴史においても異状な「死の科学」の時代を画することとなった。


核物理学の誕生
 ニュートン以来発達を続けた近代物理学は当初、力学を中心にマクロの物理現象の数理的な解明に中心が置かれていたが、19世紀末に放射線という目に見えない物理現象が発見されて以来、20世紀前半にかけて、不可視的なミクロの物理現象の解明が進んだ。
 放射線の発見者はフランスの物理化学者アンリ・ベクレルであったが、ベクレルと同時に1903年度ノーベル物理学賞を受賞した同じくフランスの物理化学者学者ピエールとマリーのキュリー夫妻が放射性元素ポロニウムとラジウムを発見したことは、物理学の歴史を塗り替えることとなった。
 放射性元素の発見はそれらが放射線の放出を伴う放射性崩壊により別の元素に変化し得る性質(放射能)を有することを明らかにしたが、物質が帯有するそうした新たなエネルギーの発見は物質を原子レベルで稠密に解明する原子核物理学の誕生と発展を触発した。
 キュリー夫妻もそうした核物理学の先駆的な功労者であったが、より直接に核物理学(または原子物理学)の祖と言えるのは、イギリスの物理化学者アーネスト・ラザフォードである。彼は理論にとどまらない実証的な実験物理学者として、原子の中心部を構成し、質量を左右する原子核を発見し、1908年度ノーベル化学賞を受賞した。
 さらに、ラザフォードの理論予想に基づき、弟子の物理学者ジェームズ・チャドウィックが陽子とともに原子核を構成する中性子の存在を発見した。この中性子こそは原子核の連鎖反応を利用した原子爆弾の原理的な基礎を成すもので、その発見は直接に核兵器科学の誕生につながる。
 実際、1935年度ノーベル物理学賞受賞者でもあるチャドウィックは後に西側の原爆開発計画マンハッタン計画にもイギリス代表として関わっており、原爆の祖の一人ともなった人物である。
 とはいえ、1930年代以前の核物理学はまだ純粋の科学研究の域にとどまっており、軍事利用の兆候は見られなかった。それが急速に軍事利用へと転化していく背景には、二つの大戦の戦間期の不穏な国際情勢が決定的に関わっていた。


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