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農民の世界歴史(連載第43回)

2017-05-09 | 〆農民の世界歴史

第10章 アジア諸国の農地改革

(4)インド農地改革と共産党

 英国植民地からの独立以前のインド農地は、ムガル帝国時代に確立された徴税請負人(ザミーンダール)が実質的な地主となるザミーンダーリー制を基本としていたが、ムガル帝国支配が元来手薄な南部では耕作者を土地所有者と規定し、納税契約を結ぶライーヤトワーリー制が導入された。
 ザミーンダーリー制は元来準封建的な制度だったが、英国はザミーンダールの封建的特権を廃止したうえで、かれらを地主とみなし、ある程度近代的な土地所有制度に仕立てようとした。ライーヤトワーリー制は近代的な土地所有制度への過渡的制度であったが、明治日本の地租改定と同様、重い地税負担に耐えかねた農民が耕作地を手放し、結局は土地の集中化が生じた。
 こうした状況下で、連邦制のインドにおける農地改革は、英国からの独立後、基本的に州レベルで実施された。もっとも、全体の司令塔役として、独立後インドの最大政党となった国民会議に農業改革委員会が設置され、その勧告がベースとされた。
 そこでの中心課題は、旧来のザミーンダーリー・ラーイヤトワーリー両制の廃止と農民搾取の廃絶にあったが、国民会議派政権は社会主義を標榜しつつも、土地の国有化といったソ連式の農地改革には踏み込まなかった。そのため、基本的に州政府に委ねられたことと相まって、インド農地改革もまた総体として不徹底に終わる運命にあった。
 ただ、その中でも州レベルで共産党が政権党に就いた所では、農地改革の前進が見られた。先駆けはケーララ州である。1957年に政権党となった共産党は60年代にかけて中央政府との対立状況を乗り越え、議会制を通じた数次に及ぶ農地改革を漸進的に実行した。
 これに遅れて、西ベンガル州でも、1977年に政権に就いた共産党の下で、バルガ作戦と命名された農地改革が実行された。これにより、小作人(バルガダール)の解放と土地の分配が実現したのである。この政策の成功もあり、共産党は2011年まで州政権を維持した。
 しかし、こうした農地改革の成功州はむしろ例外的である。共産党も分裂状態にあり、強硬的な共産党毛沢東主義派は農地改革の遅れた諸州の農村を基盤に農民革命を謳った武装テロ活動を展開し、政府と対峙している。ここには、フィリピンと同様の状況がある。
 一方、農業技術面では、インドは緑の革命の最大の成功国とみなされている。インドは1960年代初頭の大飢饉を機に中央政府レベルで稲の研究開発を進め、70年代以降、安定した米産国として定着してきた。今後は、こうした農業技術面での成功と依然として不徹底な農地改革の前進及び農村の貧困克服をいかに結びつけるかが大きな課題である。


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