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マルクス/レーニン小伝(連載第58回)

2013-02-13 | 〆マルクス/レーニン小伝

第2部 略

第4章 革命から権力へ

(4)内戦・干渉戦と「勝利」(続き)

苦い「勝利」
 レーニンのマルクス主義の師であったプレハーノフは、10月革命の三日後にザスーリチらと共同で発表した公開状の中で、10月革命を「史上最大の厄災」と論難し、それは結果として内戦を誘発し、2月革命の到達点よりもはるかに後方へ後退するだろうと警告したが、この警告は的中した。
 第一次大戦の終結から間もなく勃発した内戦・干渉戦は、大戦とそれに続く革命の激動の中にあってただでさえ疲弊していたロシア経済にダブル・パンチ的な打撃を与えたのだった。
 内戦・干渉戦が終息に向かった1920年には大工業生産高は戦前の七分の一、農業生産高も同二分の一に低下していた。燃料不足も深刻で、出炭量は戦前の三分の一、石油採取量は同五分の二という惨状の下、多くの工場が稼動停止に追い込まれていた。20年初夏にヴォルガ河流域で発生した飢餓では数百万人に上る死者を出した。
 こうした苦い結果を伴いながらも、レーニンとボリシェヴィキ党は「勝利」した。まずは日本を除く連合国の干渉軍が19年末から20年にかけて順次撤退していくと、元来まとまりを欠く地方軍閥勢力の寄せ集めにすぎなかった白衛軍の勢力も退潮していき、最後までクリミア半島を拠点としていた勢力が国外へ放逐されると、ほぼ内戦も終息したのである。
 しかし、それで落着ではなかった。内戦・干渉戦を勝ち抜くためにレーニン政権が導入していた「戦時共産主義」という名の統制経済、中でも内戦突入のきっかけとなった18年の左翼エス・エル反乱の原因でもあった食糧割当徴発制に対する農民の不満が20年から21年にかけてタムボフ県で爆発した。
 かつて10月革命を下支えした農民革命の原点の地で起きたこの反乱にはまたしてもエス・エルが絡んでおり、5万人の武装した農民たちが決起し、農村の共産党員らを殺害した。
 これに続く21年2月末から3月中旬にかけては、「共産党独裁」を公然批判し、社会主義への道を開く労働者階級自身による「第三革命」を呼号するクロンシュタット要塞の水兵反乱が発生した。
 こうした大規模な武装反乱を容赦なく鎮圧しながらも、レーニンはクロンシュタット反乱の渦中に開かれた第十回党大会で、食糧割当徴集制に代えて、農産物の市場取引を認め現物税を導入することを柱とする新経済政策(NEP)への移行を決定したのである。
 「我々はひとたび権力を握ったら、手放すことはしない」と誓ったとおり、レーニンと彼の党の特質は政治生命力の強さにあった。しかも、かれらは破局的な内戦・干渉戦を通じて権力を単に守り通したばかりでなく、焼け太り的に増強さえしてみせたのだった。
 まさに内戦・干渉戦最中の19年3月に開かれた第八回党大会で、党はソヴィエトにおいて「自らの完全な政治支配を達成する」という野心的な宣言が採択され、これに基づきソヴィエトの骨抜きと党への従属化が徹底されていく。実は先のクロンシュタットも最後まで残っていた自立的な地方ソヴィエトの拠点だったのである。
 同時に、レーニンと党は革命以降旧ロシア帝国領内で進行していた民族独立の動きにも歯止めをかけていった。その手始めは10月革命直後ウクライナ人民共和国を宣言していたウクライナの独立運動を武力で鎮圧したことであった。そして、各地に傀儡的に設立された民族別共産党をすべてロシア共産党中央委員会の支部として回収していった。
 その仕上げが22年の連邦条約をもって創設されたロシア、ウクライナ、ベロルシア、ザカフカスの四共和国で構成するソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連邦)であった。この連邦体において構成共和国相互は対等の関係にあると説明されていたが、どう見ても中心にあるのはロシア共和国であり、ソ連邦は社会主義の衣を着たロシア帝国にほかならなかったであろう。
 民族問題の観点からながめると、ロシア内戦とはレーニンとボリシェヴィキ党がロシア革命のもう一つの底流を成していた民族独立革命を抑圧し、分離しかけていた周辺諸民族を再征服してロシアの帝国的統一を回復・維持する戦いであったとさえ言えるのである。
 最後に、内戦・干渉戦という国家的非常事態は、レーニンと党指導部に超法規的な万能権力を与えた。18年7月16日には、エカチェリンブルクで囚われの身となっていた前皇帝ニコライ・ロマノフと未成年子を含むその家族6人が白衛軍による身柄の奪還を防ぐとの名目で、党中央委員会の指令に基づき銃殺された。これは正式な司法手続きなしの超法規的処刑、要するに政治的虐殺にほかならなかった。しかし、この重大な一件は、ボリシェヴィキ的万能権力の作動のほんの手始めにすぎなかったのである。


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