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晩期資本論(連載第67回)

2015-09-23 | 〆晩期資本論

十四 銀行資本と信用制度(5)

 マルクスは、信用制度の持つ価値増殖の限界打破と恐慌誘発性という二面的な性格に着目していたが、そのことを資本主義に付きものの景気変動の諸局面に分けて分析している。

再生産過程が、・・・・・・繁栄状態に達したならば、商業信用は非常に大きく膨張するのであるが、その場合、この膨張には、・・・・・円滑に行なわれる還流と拡大された生産という「健全な」基礎があるのである。この状態では、利子率は、その最低限度よりは高くなるとはいえ、やはりまだ低い。実際、この時期こそは、低い利子率、したがってまた貸付可能な資本の相対的な豊富さが産業資本の現実の拡張と一致する唯一の時点である。商業信用の拡大と結びついた還流の容易さと規則正しさは、貸付資本の供給を、その需要の増大にもかかわらず、確実にして、利子率の水準が上がるのを妨げる。

 好況とは、簡単に言えば、高利潤率かつ低利子率の局面である。手形を中心とした商業信用も正常に機能し、かつ銀行資金は潤沢で、貸付金利も低いという資本蓄積にとっては理想状況である。

・・・こうなると、準備資本なしに、またおよそ資本というものなしに事業をし、したがってまったく貨幣信用だけに頼って操作をする騎士たちが、ようやく目につくようになってくる。いまではまた、あらゆる形での固定資本の大拡張や、新しい巨大な企業の大量設立が加わってくる。そこで利子はその平均の高さに上がる。

 好況期には、低金利に支えられ、起業ブームも沸き起こる。銀行からの借入金に依存した新規事業が多数立ち上げられる一方、対等合併の形での巨大企業の設立も起こる。このような好況絶頂期の局面では、利子率が上昇を見せ始めるが、そのわけは―

・・・・労働力にたいする需要、したがってまた可変資本にたいする需要の増大は、それ自体としては利潤をふやすのではなく、むしろそれだけ利潤を減らす。とはいえ、労働力にたいする需要の増大につれ、可変資本にたいする需要、したがってまた貨幣資本にたいする需要も増加することはありうるのであり、これはまた利子率を高くすることができるのである。

 好況絶頂期には当然にも労働力に対する需要も増大する。それは労賃上昇圧力となり、利潤率は低下する。一方で労賃支払いの必要上銀行信用への依存度は高まり、そのことが利子率上昇要因となる。
 マルクスは他の利子率上昇要因として、生活手段や原料価格の高騰や中央銀行からの準備金流出なども挙げているが、ここではそれらの詳細な検討は割愛する。

・・利子が再び最高限度に達するのは、新しい恐慌が襲ってきて、急に信用が停止され、支払が停滞し、再生産過程が麻痺し、・・・・・・貸付資本のほとんど絶対的な欠乏と並んで遊休産業資本の過剰が現われるようになるときである。

 好況絶頂期には、過剰蓄積の状態に達している。すなわち、「過剰生産と眩惑的景気の時期には、生産は生産諸力を最高度に緊張させて、ついには生産過程の資本主義的制限をも越えさせてしまうのである」。恐慌局面では倒産防止のための緊急的な融資への需要が殺到し、貸付資本は欠乏する一方、銀行では焦げ付き防止のため、高利子や貸し渋りも発生する。

・・・一見したところでは、全恐慌はただ信用恐慌および貨幣恐慌としてのみ現われる。そして、実際、問題はただ手形の貨幣への転換可能性だけなのである。しかし、これらの手形の多くは現実の売買を表わしているのであって、この売買が社会的な必要をはるかに越えて膨張することが結局は全恐慌の基礎になっているのである。

 外見上は信用制度の急停止に伴う信用恐慌・貨幣恐慌に見える恐慌の内実は、過剰蓄積がもたらす産業恐慌、商業恐慌にほかならない。 

貸付可能な貨幣資本の増加は、必ずしも現実の資本蓄積または再生産過程の拡張を示しているのではない。このことは、産業循環のなかでは恐慌を切り抜けた直後に貸付資本が大量に遊休している段階で最も明瞭に現われる。このような瞬間には、生産過程は縮小されており・・・・・・・・・・、商品の価格は最低点まで下がっており、企業精神は麻痺してしまっていて、一般に利子率の水準が低いのであるが、この低水準がここで示しているものは、まさに産業資本の収縮と麻痺とによる貸付可能資本の増加にほかならないのである。

 恐慌を切り抜けた後に続く不況局面では、生産過程の縮小、物価低落という状況下で、再び銀行の貸付資本が増加するも、融資需要は乏しく、低利子へと回帰していく。ここから理論上は、不況回復期を経て、冒頭で見た「再び過度の膨張に先行する繁栄状態」に帰っていくことになる。まとめると―

 このように、利子率に表わされる貸付資本の運動は概して、産業資本の運動とは反対の方向に進むのである。まだ低いとはいえ最低限度よりも高い利子率が恐慌後の「好転」および信頼の増大とともに現われる段階、また特に、利子率がその平均的な高さ、すなわちその最低限度からも最高限度からも等距離にある中位点に達する段階、ただこの二つの時期だけが、豊富な貸付資本と産業資本の大膨張とが同時に現われる場合を示している。しかし、産業局面の発端では低い利子率と産業資本の収縮とが同時に現われ、循環の終わりには高い利子率と産業資本の過剰豊富とが同時に現われるのである。

 マルクスは「この産業循環は、ひとたび最初の衝撃が与えられてからは同じ循環が周期的に再生産されざるをえないというようになっている。」と法則化するが、実際の景気変動の歴史は、必ずしも単純な周期的反復を示してはいない。特に恐慌抑止のための経済政策の技術が進歩した現在では、恐慌を未然に防止することもできるようになってきている。しかし、それは資本主義的な景気循環を本質的に除去しているわけではなく、過剰蓄積に伴う経済危機は恒常的に潜在化している。

☆小括☆
以上、十四では『資本論』第三巻第五篇第二十五章乃至第三十二章から、信用制度の役割・機能について分析を加えた箇所をかいつまみ、参照しながら検討した。なお、金本位制を前提に通貨・為替制度を検討した第三十三章乃至第三十五章と、資本主義以前の古典的な金融制度を歴史的に分析した第三十六章の参照は除外する。


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