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晩期資本論(連載第66回)

2015-09-22 | 〆晩期資本論

十四 銀行資本と信用制度(4)

 マルクスは、商業信用及び銀行信用を二大部門とする信用制度全般が資本主義経済において果たす役割を大きく四本の柱にまとめている。

Ⅰ 利潤率の平均化を媒介するために、または全資本主義的生産がその上で行なわれるこの平均化の運動を媒介するために、必然的に信用制度が形成されるということ。

 これは特に高利潤資本の再生産過程では銀行からの借入や信用買い付けなどの信用諸制度の利用が活発化する一方、低利潤資本では逆に信用制度の利用が抑制されることで、利潤率の平均化が調節的にもたらされることを意味している。

Ⅱ 流通費の節減
1 主要流通費の一つは、自己価値であるかぎりでの貨幣そのものである。貨幣は信用によって三つの仕方で節約される。
・・・・・・・・
2 信用によって流通または商品変態の、さらには資本変態の、一つ一つの段階を速くし、したがってまた再生産過程一般を速くするということ。

 命題1の貨幣節約の態様として、(A)貨幣の不使用(B)通貨流通の加速化(C)紙券による金貨幣の代替が挙げられている。現代ではこれに貨幣の電子化という現象が加わり、通貨流通の瞬時化、ひいては命題2の再生産過程の超高速化を導いている。

Ⅲ 株式会社の形成。これによって―
1 生産規模の非常な拡張が行なわれ、そして個人資本には不可能だった企業が現われた。同時に、従来は政府企業だったこのような企業が会社企業になる。
2 それ自体として社会的生産様式の上に立っていて生産手段や労働力の社会的集積を前提している資本が、ここでは直接に、個人資本に対立する社会資本(直接に結合した諸個人の資本)の形態をとっており、このような資本企業は個人企業に対立する社会企業として現われる。それは、資本主義的生産様式そのものの限界のなかでの、私的所有としての資本の廃止である。
3 現実に機能している資本家が他人の資本の単なる支配人、管理人に転化し、資本の所有者は単なる所有者、単なる貨幣資本家に転化するということ。

 資本主義的な大規模生産を可能とする株式会社企業は、信用制度、特に銀行信用なくしては存立し得ないであろう。その意味で、信用制度は株式会社の形成・発展を促進する。上記のⅠ及びⅡが信用制度の言わば直接的な役割であったのに対し、これは結果的な役割と言える。
 命題2の「資本主義的生産様式そのものの限界のなかでの、私的所有としての資本の廃止」という弁証法的な社会的所有論は、第一巻結論部でも「資本主義的私有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。」という有名な科白を含むより抽象的な命題として言及されていたところであるが、現代の資本企業は命題3にあるような「所有と経営の分離」を特質とする新たな間接所有的な私的所有形態として再編されている面もあり、「私的所有としての資本の廃止」は必ずしも実現されていない。
 マルクスも第三巻ではこのことを認め、「株式という形態への転化は、それ自身まだ、資本主義的なわくのなかにとらわれている。それゆえ、それは、社会的な富と私的な富という性格のあいだの対立を克服するのではなく、ただこの対立を新たな姿でつくり上げるだけである。」と付言している。
 それどころか、このような資本主義的な限界内での私的所有の揚棄という矛盾は、「新しい金融貴族を再生産し、企画屋や発起人や名目だけの役員の姿をとった新しい種類の寄生虫を再生産し、会社の創立や株式発行や株式取引についての思惑と詐欺の全制度を再生産する。それは、私的所有による制御のない私的生産である。」とも指摘される、まさに現代資本主義において観察されるような現象を生み出す。

Ⅳ ・・・・・・・信用は、個々の資本家に、または資本家とみなされる人々に、他人の資本や他人の所有にたいする、したがってまた他人の労働にたいする、ある範囲内では絶対的な支配力を与える。

 これもまた、Ⅲの命題3から導かれる信用制度の結果的な役割である。ここでは、「人が現実に所有している、また所有していると世間が考える資本そのものは、ただ信用という上部建築のための基礎になるだけである」。例えば「社会的生産物の大部分がその手を通る卸売業」の場合、「投機をする卸売商人が賭けるものは、社会的所有であって、自分の所有ではない。資本の起源が節約だという文句も、同様にばかげたものになる、なぜならば、彼が要求するのは、まさに他人が彼のための節約すべきだということでしかないからである」。 同じことは、株式を資産として保有する投機だけを目的とした株主についても言える。銀行も融資先企業に対して、外部的な債権者としての支配力を有する。
 かくして「社会的資本の大きな部分がその所有者ではない人々によって充用される」ことで、「信用制度が過剰生産や商業での過度な投機の主要な槓杆として現われるとすれば、それは、ただ、その性質上弾力的な再生産過程がここでは極限まで強行されるからである」

・・・・信用制度は生産力の物質的発展と世界市場の形成とを促進するのであるが、これらのものを新たな生産形態の物質的な基礎としてある程度の高さに達するまでつくり上げるということは、資本主義的生産様式の歴史的任務である。それと同時に、信用は、この矛盾の暴力的爆発、恐慌を促進し、したがってまた古い生産様式の解体の諸要素を促進するのである。

 信用制度は資本主義的な価値増殖に内在する限界を打ち破る役割を持つが、その投機的性格から恐慌の要因ともなり、それが古い生産様式の解体を促進するという趣意である。
 言い換えれば、「信用制度に内在する二面的な性格、すなわち、一面では、資本主義的生産のばねである他人の労働の搾取による致富を最も純粋かつ最も巨大な賭博・詐欺制度にまで発展させ、社会的富を搾取する少数者の数をますます制限するという性格、しかし、他面では、新たな生産様式への過渡形態をなすという性格」がもたらす(マルクスは明示しないが)信用制度の五番目の役割である。
 マルクスは、これを「信用制度の発展―そしてそれに含まれている資本所有の潜在的な廃止」という一句にまとめている。ただ、信用制度が金融恐慌のような破局的事態を招くことについては先例も存在するが、それが資本所有そのものの廃止を潜在的であれ含んでいるかどうかについては、疑問の余地があろう。


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