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貨幣経済史黒書(連載第1回)

2017-10-22 | 〆貨幣経済史黒書

前言

 筆者は、メイン連載『共産論』をはじめ、共産主義的計画経済の仕組みをより詳説した『持続可能的計画経済論』などを通じて、貨幣経済によらない経済システムの可能性を提唱してきたところであるが、おそらくこの主張は貨幣経済の絶対化という現況ではなかなか理解されにくいかもしれない。
 貧困や多額の負債、破産、投資の失敗、詐欺・盗難被害など貨幣にまつわる何らかの不幸を実体験しない限り、貨幣さえあれば欲しい物は何でも手に入るという貨幣経済の技術的な便利さに目を奪われて、貨幣経済以外の経済システムを想像することもできなくなっているのが現代文明人である。
 そうした想像力の貧困状態を脱することは容易でないけれども、貨幣経済の裏面を歴史的に追ってみることで、貨幣経済の真の恐ろしさを追体験することは可能かもしれない。とはいえ、通常の経済史の概説書等に当たってみても、貨幣経済の暗黒面に焦点を当てたものはほとんど見られず、ハイパー・インフレーションや金融恐慌などの負の事象に言及しつつも、多くは貨幣経済を人類の輝かしい文明として称賛し、その進歩的な側面に焦点を当てた「白書」として記述されている。
 当連載は、そうした通例とは逆に、貨幣経済の暗黒面に焦点を当てた稀な試みとなるだろう。その意味で、当連載は「貨幣経済史黒書」と命名される。当面は不定期連載ながら、これを通じて、貨幣経済の本当の恐ろしさを歴史的に追体験することを可能としたい。表示はしないが、「本当は恐ろしい貨幣経済」という副題を付してもよいだろう。
 記述に当たっては、日本に限定せず、世界歴史上に位置づけられた貨幣経済史の全体を概観するように努め、最後に「貨幣経済史の終焉」として、貨幣経済からどのようにして脱却できるか、というこれまでの連載で必ずしも充分に触れることのできなかった問題についても、考察してみたい。

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