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「自由平等美国」の終わりの始まり

2022-06-25 | 時評

アメリカ合衆国最高裁判所が24日、半世紀前に確立されたはずの妊娠中絶の権利を認める判例を覆し、憲法上妊娠中絶の権利は保障されていないとする新判断を六判事の多数意見として示したことは、単に「保守化」といった言葉だけでは語りつくせない意味があるように思われる。

わずか6人の判事の判断によって半世紀間認められてきた憲法上の権利を剥奪できてしまうアメリカの強力すぎる司法制度は、半世紀前には立法では解決のつかなかった妊娠中絶の権利を保障することにも寄与したのであるから、まさにアメリカ市民の生殺与奪を握る両刃の刃である。

医療的妊娠中絶(いわゆる人工妊娠中絶:この用語の問題性については拙稿参照)は、女性にとっての人生決定の自由という意味があるが、そればかりでなく、産科医療が発達した時代にあっても決して絶対安泰とは言えない妊娠・出産という身体的・精神的負担を女性にだけ強制しないという平等理念とも結ばれた自由平等理念の象徴である。

そのような理念を承認したのがちょうど半世紀前のいわゆるロウ対ウェイド判決であったわけであり、これは当時まだ少なからぬ諸国で妊娠中絶が犯罪とされていた時代にあって、米国の先進的な自由平等を示した判決でもあった。

このような確立判例のクーデター的転覆は、トランプ前政権によって送り込まれた超保守派判事の参加により実現されたことであり、それは南部の保守派州を中心に広がっている新たな政治反動の大きな成功例とも言える。

半世紀という一時代にわたって維持されてきた著名判決が覆されたことで、次に転覆の標的となり得るのは、1954年に出された人種平等判決である。ブラウン判決として知られるこの判決は、それ以前「分離すれども平等」という理屈により教育その他の公共サービスにおける人種隔離を正当化してきた状況を正し、人種平等理念を司法上確立した画期的判決であった。

これも単に平等というだけでなく、有色人種が等しく公共サービスを受ける自由を保障したという意味では、やはり自由と平等が結ばれた自由平等理念の象徴であり、人種差別が世界でまだある種の「常識」でさえあった時代に米国の先進性を示した判決であった。

しかし、この判決もまた、19世紀の奴隷解放後、それに代わる人種隔離政策を続けていた南部保守州にとっては打撃であり、不満怨嗟の種となってきた確立判例であって、転覆が待望されているものである。もしこれが覆されれば、南部は司法府から人種隔離政策再開のゴーサインを賜ることになる。

ロウ対ウェイド判決の転覆はこうした自由平等の美国(米国の中国式漢字表記)の終わりの始まりとなるかもしれない。それは同時に、中絶賛成州と反対州の対立を招き、南北戦争以来の連邦分裂の危機を惹起する可能性を秘めている。その意味では、いささか性急な予測ながら、アメリカ合衆国の崩壊の始まりでもあるかもしれない。

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