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近代革命の社会力学(連載第170回)

2020-11-20 | 〆近代革命の社会力学

二十三 チリ社会主義革命

(3)社会主義者の軍民連合
 チリの1932年社会主義革命は電撃的に起きた点で特異であるが、その核となったのは、弁護士出身のエウジェニオ・マッテを中心に、革命前年の1931年に結成された社会主義的政治結社・「新しい公共行動」(NAP)であった。
 これは、フリーメーソンの自由主義思想を基盤としたラテンアメリカ特有の新しい社会主義を理念とするグループで、チリでも1922年に結成されていたマルクス主義の共産党とは一線を画していた。このNAPを中心に、マーマデューク・グローベ大佐を中心とする空軍と陸軍の中堅将校が参加する形で革命集団が結成され、1932年6月4日、クーデターの形で革命が実行された。
 このような社会主義革命に軍人が参加したのは、チリでは、1924年から25年にかけて、従来の議会共和制が崩壊するきっかけを作ったクーデター以来、軍内に革新派が形成されていたこともあり、その中心に、かねてから前のイバニェス政権打倒を企て、イースター島へ追放されたこともあるグローベ大佐がいた。
 とはいえ、革命に参加した軍人はごく一部であったから、この突発的な革命に対し、時のモンテーロ大統領は軍を動員して鎮圧を図ることもできたが、大恐慌後の経済危機対策で行き詰まっていたモンテーロがあっさり辞任したため、革命もまたあっさりと成功を収めたのであった。
 その結果、先のマッテとグローベに、駐米大使カルロス・ダビラ、退役将軍アルトゥーロ・プガを加えた暫定評議会が設置され、プガが議長職に就いた。この体制で、社会主義共和国の樹立が宣言されたのであった。ただし、プガは間もなく陸軍の圧力で辞任に追い込まれ、陸軍の支持を受けたカルロス・ダビラが後任に就いた。
 このような軍民混合のグループによる革命というあり方は、同時期に並行したタイの立憲革命における人民団にも通じるところがあるが、独立以来、すでに共和国としての歴史が長いチリにおいては、社会主義を包括的な共通理念として軍民が急速に連合した点に大きな相違があった。
 それだけに、この社会主義軍民連合はほとんど組織されておらず、にわか仕立ての様相を否めなかったうえに、労働運動や民衆との連携もなかったため、政権基盤は極めて脆弱であった。実際、この突発的な社会主義革命は人々を驚かせ、賛否をめぐって世論は二分された。
 保守勢力の反発を招いたのは当然としても、蚊帳の外に置かれた共産党や労働組合も、軍事クーデターの手法で実行された革命には否定的で、評議会メンバーらを軍国主義者と名指して非難し、野党を形成した。結局、革命政権の主要な支持基盤は、社会主義者の知識人と中流の勤労者団体だけというありさまであった。
 特に共産党を蚊帳の外に置いたことで、ソ連と外交関係は樹立したものの、世界の共産党総本部となっていたソ連及びコミンテルンからの直接的な支援を得られなかった革命政権の行く末はかなり不透明であり、その持続性には初めから疑問府が付いていた。


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