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近代革命の社会力学(連載補遺16)

2022-09-19 | 〆近代革命の社会力学

六ノ二ノ二 テキサス独立革命

(3)独立革命への過程
 テキサス独立革命は、1835年に発足した中央集権のメキシコ共和国に対する反作用として発生した各州の反乱の一環であったが、実際のところ、それ以前から、奴隷制や関税をめぐる紛争を契機に独立への蠕動が生じていた。
 1832年と1835年にテキサスのメキシコ関税事務所及び駐屯軍司令部が置かれたアナウアクで、メキシコ法令を厳格に執行しようとした地元司令官への反発から起きた二度の騒乱事件は、テキサスのアメリカ人入植者が自警団を組織し、団結する重要なステップとなった。
 この間、1833年に開催された入植者団の大会では、テキサス入植地の州への昇格を請願することが決議されたが、メキシコ政府に拒否され、1834年に集権主義者のサンタ・アナが大統領に就任すると、入植団指導者オースティンは逮捕された。
 その後、1835年6月の第二次アナウアク騒乱事件では、メキシコ軍部隊をテキサスから駆逐することに成功し、革命への下地となった。しかし、メキシコのサンタ・アナ政権は反乱を容赦せず、戦争の構えを見せていた。
 この後、1835年10月のゴンザレスの戦いから1836年5月のテキサス独立までは、テキサス‐メキシコ両軍間でのシーソーゲーム的な攻防戦の様相を呈する。
 緒戦では先住メキシコ系テキサス人(テハノス)を含めた寄せ集めながら高性能ライフル銃を駆使するテキサス軍が優位にあったが、態勢を整えたメキシコ軍が反撃に出ると、テキサス側は窮地に陥り、1836年2月から3月にかけてのアラモ砦の戦いで全滅の敗北を喫したのに続き、ゴリアド軍事作戦では勝利したメキシコ軍による捕虜の大量処刑が断行された。
 この間、テキサス入植者団は1835年11月に暫定政府を樹立したが、この段階では分離独立は掲げず、自治政府の性格であった。しかし、メキシコ軍の冷酷な反乱鎮圧作戦は入植者団の完全独立への希求を高め、1836年3月年の大会で正式に独立宣言が採択された。
 一方、メキシコ軍の激しい攻勢に対し、テキサス側は焦土作戦を展開しながらアメリカ合衆国との国境地帯まで後退する戦略的撤退作戦で応じる中、1836年4月、サンジャシント川の戦いで決定的な逆転勝利を収め、自ら従軍していたサンタ・アナ大統領の捕縛にも成功した。
 サンタ・アナ張本人の捕縛はテキサス側には決定的な交渉材料となり、最終的に、サンタ・アナの生命の保証と交換条件でテキサスの独立を認めさせるベラスコ条約が締結され、テキサスの独立が実現することとなった。


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