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「女」の世界歴史(連載最終回)

2016-09-27 | 〆「女」の世界歴史

第五章 女性参政権から同性婚まで

(6)同性婚運動と反動

 近代的な女権拡大運動は近代的な自我の観念と個人の自由の拡大を求める思潮に発していたが、それは同時に、同性愛者の権利拡大にも影響を及ぼしている。前近代までの同性愛は、日本の衆道に象徴されるように、ある種の性文化・性慣習であり、そもそも「同性愛者」というような観念も意識も存在していなかった。
 自身の性的指向を自己のアイデンティティーとして意識する「同性愛者」が誕生するのは、近代的な自我の観念の誕生に多くを負っている。おそらくその先駆者は、ドイツ人のカール・ハインリヒ・ウルリヒスである。
 以前も見たように、19世紀末のドイツ帝国では、同性愛行為を犯罪として取り締まる保守的な政策が採られており、同性愛者は法的に抑圧されていたが、そうした中で、一介の裁判所職員だったウルリヒスは自身の同性愛が露見したことで解雇されたのを機に、初めて公然とカミングアウトした自覚的な同性愛者として、同性愛者の権利擁護のための執筆活動を開始する。
 折りしも、オーストリア‐ハンガリーのジャーナリスト・人権活動家であったカール‐マリア・カートベニが「ホモセクシュアル」の用語を発案し、性的指向性という概念が正面から論議されるようになった。これにより、同性愛は単なる風俗文化から、人権問題に移行していく。
 しかしウルリヒスらの活動は、当時の時代状況で実を結ぶことはなく、ドイツではナチス政権下で、同性愛者の殺戮が断行される。そこまで極端な迫害を経験しなかった諸国でも、同性愛者はアンダーグラウンドの存在に貶められ、逼塞しながらも、独自の生活コミュニティーを形成するようになる。
 再び同性愛者の権利問題に光が当たるのは、遠く1970年代の米国においてである。その先駆者は、ウルリヒスよりおよそ100年後に生まれたハーヴェイ・バーナード・ミルクであった。彼はアメリカで最大のゲイ・コミュニティーを擁する街となっていたサンフランシスコでカメラ店を営みながら市のゲイ・コミュニティーのリーダー的存在となり、77年、サンフランシスコ市会議員に当選する。
 市会議員としてのミルクは、市の同性愛政策の推進などの先駆的な取り組みを主導するが、78年、前市議の暴漢の手で暗殺されてしまう。犯人が陪審裁判で比較的軽い刑に処せられたことを機に、サンフランシスコのゲイ・コミュニティーで抗議行動が巻き起こり、暴動に発展したことは全世界的な注目を集めた。
 ミルク自身はパートナーと暮らしていたが、彼の時代のテーマは同性愛を理由とする解雇の禁止といった差別からの自由であり、同性愛者同士の婚姻―同性婚―の問題には手が届いていなかった。同性婚の問題へ飛ぶ前に、同性愛者は1980年代からのエイズ(後天性免疫不全症候群)禍にさらされる。エイズは同性愛者特有の感染症ではないが、男性同性愛者が性行為を通じて感染しやすく、有効な薬剤が開発される以前の90年代にかけて、少なからぬ著名人のエイズ関連死が続いた。
 エイズと同性愛を結びつける新たな偏見と差別の時代を越えて同性婚要求運動が隆起するのは、2001年にオランダが世界で初めて同性婚を容認して以降である。18世紀には当時最も激しい同性愛者迫害を経験したオランダであるが、1987年には歴史上迫害・弾圧の犠牲となったすべての同性愛者を追悼する世界初の同性愛記念碑が建立される国となっていた。
 宗教保守勢力の強い米国では04年、時のブッシュ政権が同性婚を禁止する憲法修正を提起したことをめぐり激しい論争を招いたが、10年以上に及ぶ論争と運動の末、2015年、連邦最高裁で同性愛者の婚姻の権利が承認されることとなった。
 この間、欧州を中心に同性婚を認める諸国は確実に増加しており、09年、アイスランドでは世界で初めて同性愛者を公言する女性のヨハンナ・シグルザルドッティルが首相に就任したほか、ルクセンブルクは2013年以降、グザヴィエ・ベッテル首相とエティエンヌ・シュナイダー副首相がともに男性同性愛者という世界初の国となった(追記:シュナイダー副首相は2020年に辞職)
 こうした一方で、宗教的・道徳的な観点からの同性婚反対行動、また保守的な中東・アフリカ、ロシアを中心に反同性愛を政策的に鮮明にする諸国もあり、女権におけると同様、ここでも権利の伸張とそれに対する反動の相克が見られる。
 注目すべきは、同性婚運動では女性同性愛者の推進力が大きいことである。伝統的なフェミニズムでは異性愛の既婚女性がその推進力となっていたのに対し、同性婚運動では従来、ほとんど不可視の存在であった女性同性愛者が可視的な存在として登場している。このことは、翻ってフェミニズムにも新たな刺激を与えるであろう。
 同時に、従来の女権闘争では攻守の対立関係に立ちがちだった両性が同性婚への権利という共通の権利を求めて共闘するという新たな潮流をも作り出している。その先行きは定かでないが、女性参政権をほぼ達成し終えた「女」の世界歴史は、新たな段階を迎えようとしているように見える。(連載終了)

 

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