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農民の世界歴史(連載第45回)

2017-05-23 | 〆農民の世界歴史

 第10章 アジア諸国の農地改革

(6)ケシ黄金地帯と内戦

 以前取り上げた南米コロンビアが世界最大級のコカイン原料コカ栽培地となっているのに照応して、アフガニスタンは世界最大級のアヘン原料ケシ栽培地となっている。とりわけ同国東部ジャララバードを中心に、国境を越えてパキスタン、イランにもまたがる地帯は、「黄金の三日月地帯」の異名を持つケシ栽培地帯として知られる。
 この地域でのケシ栽培は1950年代から本格化し、アフガニスタン内戦時代を通じて、貧農にとって最有力の換金作物として生産高も増加していった。しかし、96年に政権を握ったイスラーム原理主義勢力ターリバーンの禁止令も影響して生産高は一時減少したものの、9.11事件に起因する米軍の攻撃による2001年の政権崩壊後は、再び急速に生産高が回復している。
 特に反政府武装勢力に戻ったターリバーンの拠点がある地域に栽培地が集約される傾向にあり、ケシ栽培と麻薬取引がターリバーンの資金源となっている可能性が指摘されている。コロンビアと同様、代替作物への転換が課題であるが、元来農業適地も少ない土地柄のうえ、旱魃に悩まされ、戦乱による農地の荒廃も加わり、課題達成は容易でない。まずは内戦の完全な終結が鍵を握るだろう。
 アジアにはもう一箇所、ケシの大栽培地帯がある。それはミャンマー東部シャン州を中心にメコン河をはさみ、タイ、ラオスにもまたがる「黄金の三角地帯」の異名を持つ地帯である。
 この地域でのケシ栽培の歴史は19世紀に遡ると言われるが、本格化するきっかけは戦後、国共内戦に敗れた中国国民党残党軍がシャン州やタイ北部に流入し、現地少数民族を配下に事実上の独立国を形成、その財源に麻薬取引を据えたことにあると言われる。
 ちなみに、ミャンマー(旧ビルマ)では、ネ・ウィン将軍の「ビルマ式社会主義」体制時代に土地国有化を基調とした農地改革が断行されたが、政府の支配が及ばない国境の少数民族地帯に改革の効果は及ばなかった。
 その後、国民党残党が弱体化すると、中国が支援したビルマ共産党とそのライバルで米国が支援したシャン族軍閥クン・サーらがそれぞれビルマ政府との内戦下でケシ栽培と麻薬取引を資金源とし合ったため、80年代以降の「三角地帯」のケシ栽培は最盛期を迎え、「三日月地帯」を凌ぐまでになった。 
 しかし、ビルマ共産党は89年に解散し、クン・サーも96年にはミャンマー政府に投降した後、2002年には軍事政権によるケシ栽培禁止令により、サトウキビ等への転作も一定進んだことで生産量は減少するも、少数民族軍閥が麻薬利権を継承し、なお資金源としているとされる。この地帯でのケシ栽培からの転換も、多民族国家ミャンマーにおける少数民族紛争の根本的な解決にかかっているだろう。


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