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農民の世界歴史(連載第44回)

2017-05-22 | 〆農民の世界歴史

第10章 アジア諸国の農地改革

(5)西アジアの農地改革

 西アジアには多数のイスラーム諸国がひしめくが、その中でも最大人口を擁するイランは比較的農地改革が進展した国である。イランで本格的な農地改革が断行されたのは、パフラヴィ朝第二代モハンマド・レザー・シャー国王が1960年代以降に推進した上からの近代化改革「白色革命」の過程においてであった。
 従来、イランでも半封建的な大土地所有制と農奴化した貧農という構造が形成されていたところ、政府は地主から土地を買収し、それを市場価格の30パーセント程度の安値で、かつ低利長期融資で農民に売り渡すというオーソドクスな方法で改革を進めた。
 この改革の恩恵を受け、土地持ち農民となったのは当時の人口の半分に近い900万人とも言われ、相当に大きな効果を持つ改革であった。こうした日本の戦後農地改革に匹敵する大改革が断行できたのも、前近代的な絶対王政の強権支配のおかげであったのは皮肉である。
 ただ、そうした非民主的体制下での農地改革の結果は、農村における富農と小土地農民、農業労働者の新たな階級分裂であった。最下層の農業労働者は、都市部へ流出することが多かった。マルクスの潜在的過剰人口の事例である。
 パフラヴィ朝を打倒した1979年イスラーム革命は白色革命に対する反動でありながら、農地改革の成果を覆すことはしなかったが、イスラーム共和体制下では補助金農業から営利農業への転換が主流的となった。
 これに対し、東隣のアフガニスタンの事情は大きく異なる。山岳国家アフガニスタンでは大土地所有制は発達せず、イランで農地改革が始まる同時期の1960年当時でも、全作付耕地のうち自作経営地はイランの28%に対してアフガニスタンは60%であった。
 そうした中にあって、1978年の革命で成立した社会主義政権は地主階級の部族長に所有された大土地の無償接収と農民への再分配という社会主義的な農地改革を性急に断行したことで、部族長勢力の虎の尾を踏むことになった。
 これが長期に及んだ内戦へのステップとなり、アフガニスタンの耕地面積の三分の一が破壊され、荒廃したとされる。大土地所有制が希薄な好条件を持ちながら、戦乱によってアフガニスタン農業は破壊され、農民は戦士として動員、大量の戦死者を出すこととなったのであった。
 イランの西隣トルコでは、イランの白色革命に遡ること40年、オスマン帝国を解体したケマル・アタチュルクの共和革命によって近代化改革が断行されたが、オスマン時代以来の地方首長アーガによる大土地所有制にメスを入れる農地改革は西部地域に偏り、彼の早世により後手に回った。
 アタチュルクの没後、農業改革本部を通じた農地改革の試みは続くが、徹底することはなかった。かくしてトルコの大土地所有制は現代まで生き残ることになるが、これは次第に大規模投資を通じた企業的営農の形態を取って資本主義に適応化している一方、補助金に依存する小土地農民の困窮をもたらしている。


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