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「市民連合」と「民衆会議」

2016-06-08 | 時評

市民連合と野党連合が政策協定を締結。草の根政治運動が廃れ、市民社会が政治的な砂漠と化していた近年の日本では珍しい動きである。それだけでも小さな変化の兆しとして好意的に注目したいが、やはりぬるさは否めない。

柱は、「戦争法」廃止と立憲主義の回復に置かれている。この方向は間違っていないと思うが、要するに失われたものの回復が目的であり、まだ存在しないものを創るのではないということ。

これは野党連合との協定という手法に見られるように、既成選挙政治の枠に沿い、これまたゆるい野党連合の支持基盤になろうという企てである。それは、既成選挙政治にまだ期待をかける運動手法である。

反動改憲の足音が迫る状況下では、民主党改め民進党中心政権に再チャレンジ機会を与えるのも一つの方策かもしれないが、全体としての結果は前の民主党中心政権期とそう変わらないだろう。民進党は明確な理念がなく、軸のぶれやすい日和見主義的性格を前民主党から引き継いでいるからである。

ましてや、今度は共産党と連携するというこれまでになく大胆な策である。連携の先に想定される「民共連立」は、自公連立と同じように運ぶとは思えない。より成立しやすい社民党との民社連立政権ですら短期で失敗した前民主党である。

草の根と政党政治が直結してしまうことも、海千山千の政党政治家に使い捨てされる危険と隣り合わせである。市民連合自らが草の根代議機関になり切るほどの対抗力を示さないならば、拙構想における民衆会議とはまだまだ遠い距離がある。


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