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近代革命の社会力学(連載第336回)

2021-11-26 | 〆近代革命の社会力学

四十八 バヌアツ独立革命

(4)メラネシア社会主義の展開
 独立革命を経て誕生したバヌアツ共和国で最初の首相となったウォルター・リニは英国国教会系アングリカン教会の司祭という革命家としては異例の経歴を持つ人物であるが、彼が創設したバヌアアク党(VP)の中心的なイデオロギーが「メラネシア社会主義」に置かれていた限り、保守的な聖職者とは一線を画していた。
 メラネシア社会主義は1970年代当時、後発の第三世界における自立的な社会経済発展のモデルとして風靡していたマルクス‐レーニン主義とは異なり、メラネシア伝統の共同体的土地所有を基礎に、キリスト教の理念を加味した社会主義社会を構想するもので、バヌアツを含むメラネシア地域全体の統合(メラネシア連邦)まで視野に収めていた。
 しかし、この社会主義はメラネシアの伝統的共同体を基礎としていた限り、必ずしも革命的ではなく、独立後、急進的な社会主義政策が展開されることもなかったため、バヌアツにおける革命は独立革命の枠内で収斂し、社会主義革命の段階には進まなかったと言える。
 また、メラネシア統合という構想に関しても、メラネシアに属する民族・部族は極めて多岐に上り、独立当時の人口10万人余り(現在は30万人余り)にすぎなかったバヌアツだけでも100を超える部族言語が分布するありさまであり、統合は遠大な理念にとどまった。
 とはいえ、リニ政権はフランス領ニューカレドニアにおける先住民カナック族による独立運動や1975年からインドネシアが国際連合決議に反して占領していた旧ポルトガル領東ティモールの独立運動に支援を与え、一種の革命輸出政策を展開した。
 一方で、外交上は非同盟政策に与し、社会主義を掲げながらもソ連との同盟関係は避け、アメリカとも関係を構築したが、キューバやリビアなど第三世界の社会主義諸国と友好的な関係を築き、総体として西側陣営に組み込まれた南太平洋地域にあって、唯一、親東側の立ち位置にあった。
 こうした外交上の展開の反面で、内政面でのメラネシア社会主義の展開は10年余りに及んだリニ政権の期間を通じて控えめであり、ソ連型の一党支配体制は採用せず、多党制を維持しつつ、VPが選挙常勝政党として政権与党を維持する一党優位の議会政が定着した。
 そのため、仏語系で反社会主義の中道政党同盟(UPM)が最大野党として対抗し続け、言語別党派政治というバヌアツ特有の政治分断状況は止揚されないまま、続いていくこととなった。
 とはいえ、リニ政権はその出自から英語系中心の権威主義的な運営となり、政権後半期には党内からも反リニの動きが発現する中、1991年9月、東欧社会主義圏における連続民主化革命の渦中、リニは党内造反派も加わった議会の不信任決議により解任され、下野したのであった。
 この政変以降、リニは離党して新たな英語系政党・国民連合党を結党したため、英語系政党が分裂することで英語系の支配力は弱化し、90年代には仏語系UPMが政権を執った。その後、21世紀に入ると、土地と正義党のような言語中立的な保守政党も台頭し、バヌアツの言語別分断は中和されてきている。


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