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近代革命の社会力学(連載第209回)

2021-03-12 | 〆近代革命の社会力学

三十 中国大陸革命

(8)革命の余波
 1950年代末からの大躍進政策が失敗に終わった後、共産党の支配体制は確立されながらも最高指導者・毛沢東の権威が低下する中、1960年代前半期には社会主義化の進展スピードを緩める改革的な中堅のグループが台頭し、党の実権を掌握した。
 これは市場経済化に振れる最初の改革的な動向であったが、毛没後の1970年代末以降における大規模な市場経済化改革に比すれば、微修正に過ぎないものであった。しかし、毛とその側近グループにとっては革命の後退を結果する危険な企てと映った。
 そこで、1960年代半ば、毛とその側近グループは修正主義の土壌となる資本主義・ブルジョワ文化の残滓を除去するべく、文化面にも及ぶ全般的なプロレタリア革命(文革)を体制内的に発動するキャンペーンを開始した。
 そうした意味で、文革は毛とその側近グループによる粛清運動の性格を持ったが、それと同時に、大衆動員の手法によって学生を中心とする下からの下剋上的な造反力学を利用した点において、特異な「革命」事象であった。
 その点、文革はそれ自体が建国革命後の体制内「革命」として、言わば再帰的な余波とも言える事象であったが、時代的には1960年代後半から70年代前半にかかり、それには固有の余波事象も伴ったことから、後に改めて詳述することにする。
 さしあたり、ここで中国大陸革命の余波という場合、これを1949年の建国革命の直接的な余波に限定すると、建国革命は意外にも、直接的な余波としての革命を周辺諸国に惹起することはなかった。
 国境を接する諸国を見ても、北のモンゴルはすでに1920年代に、ロシア革命の余波としての革命を経験し、世界で二番目と目される社会主義共和国として先行していたし、南のベトナムでも、一足早い1945年にフランス、次いで日本占領軍庇護下の阮朝を打倒した革命により、社会主義体制が構築されていた。
 他方、東北地方で国境を接する朝鮮では、戦時中、中共指揮下、満州を拠点に抗日レジスタンスを展開した組織を母体にしつつ、日本からの独立後の1946年、ソ連の影響下に半島北部で社会主義国(現・朝鮮民主主義人民共和国の前身)が建国されており、これも中共による建国革命に先立つ動きであった。
 朝鮮半島ではむしろ、建国革命の翌年1950年に勃発した朝鮮戦争が建国革命の余波と言える動向となる。この戦争は、前出の北朝鮮が半島全体の武力統一を狙い、南にアメリカ及び国際連合の主導で建国された大韓民国側へ侵攻したことに端を発したもので、社会主義的な半島統一を宿願とする北朝鮮にとってはある種の革命戦争であった。
 この時、北朝鮮の後ろ盾として軍事援助していたソ連が直接の参戦を避けたため、建国間もない中華人民共和国が義勇軍の形を取った人民志願軍を組織して北朝鮮側で参戦したことにより、朝鮮戦争は戦後冷戦構造における最初の国際戦争に発展した。朝中連合軍は一時韓国を占領する勢いであったが、最終的には米軍主体の国連軍に押し返されて休戦となり、今日に至っている。
 その他に、1949年建国革命の直接的な余波現象は見られず、この点は、周辺・近隣諸国に広く同様の革命(未遂を含む)を連続的に惹起した1917年ロシア革命との大きな相違となっている。むしろ、1949年建国革命は、戦後における国際秩序全体に及ぼしたインパクトのほうが大きかったと言える。


※当初の構成では、「(9)プロレタリア文化大革命の動乱」と題する小見出しのもとに文革を扱ったが、本文に記したとおり、文革は年代的にも、質的にも、1949年建国革命とは区別すべき点が多いため、後に改めて項目を設けて扱うこととし、該当記事は削除した。


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