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ザ・コミュニスト

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人類史概略(連載第11回)

2013-10-02 | 〆人類史之概略

第5章 国家の成立と隷民制(続き)

隷民制国家
 古代国家の物質的土台が鉄にあったとすれば、もう一つの物質的‐経済的土台は隷民制に置かれていた。すなわち、成功した古代国家はみな効率的な生産活動のために人を動員・隷従させるシステムを巧みに構築し得た国家であった。
 遺憾なことではあるが、現生人類は無力な同胞を隷従させて自己利益の拡大のために使役することを躊躇しない傾向性を共通して持つ。このことは、今日まで一貫して変わっていない。
 そうした隷民制の究極は奴隷制であるが、隷民制=奴隷制ではない。奴隷制は隷民制の中の最も典型的な類型にすぎず、奴隷にウェートを置かない隷民制の諸形態も種々存在するからである。
 そうした点で、古代エジプトは王を究極的な頂点とし、隷民制を巧みに組織して強国となった先駆者であった。ただ、古代エジプトでは奴隷は家内奴隷が中心で、生産活動におけるウェートは小さかった。しかし王(ファラオ)は民を動員して巨大建造物の建設に従事させるだけの動員力を保持していた。
 古代において奴隷制を最も広く活用したチャンピオンは古代ギリシャ・ローマであった。とはいえ、ギリシャでもアテネの私有奴隷とスパルタの国有奴隷には違いがあったし、ローマの奴隷はしばしば解放されて市民権を得ることもあった、というように各々特色を備えていた。
 隷民制の最も洗練された形態は、東洋の公地公民制律令国家に現れた。この体制では奴隷はとして国家や豪族によって使役されたが、生産活動におけるウェートは低く、むしろ王(皇帝)が領有する隷民としての農民を生産活動の主要な担い手とする体制―マルクスの言う「総体的奴隷制」―であって、土地も王に属するという点では、ある種の国家社会主義の先駆け―隷民制社会主義―であった。
 しかし、この体制はあまりにも理念型的であり過ぎて、結局は経済的現実を前に貫徹されることなく、その発祥地中国でも継受した日本でも土地私有制度の発達を食い止められなかった。人類の強欲さという性格は、土地に対する私有の欲望を規制することを困難にし、「公地」という土地国有化原則は形骸化・崩壊の道を歩むべく運命づけられていたのである。
 こうした隷民制古代国家はほとんどの場合、頂点に王を戴く王制を上部構造として持っていた。国家の長たる王が人民を国土ごと領有するというのが最も単純明快な国家の原初形態であったわけである。
 もっとも、古代ギリシャのポリスや共和制時代のローマのように、都市国家の中には王を擁しない革新的な共和制も見られたが、古代共和制はいずれも例外的・一時的な体制であって、やがてマケドニア帝国や帝政ローマのような王制へ吸収・回帰することを避けられなかった。


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