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農民の世界歴史(連載第47回)

2017-06-06 | 〆農民の世界歴史

第11章 農民の政治的組織化

(2)北欧の農民政党

 農民の政治的組織化という点で早くから成功を収めてきたのは、北欧諸国である。北欧諸国は封建的な農奴制が弱く、農民層の自立が早くから進んだことにより、自作農民の近代政治的覚醒も早くから進み、農民の政治的組織化が都市労働者のそれと同時並行的に進展した。
 これらの農民政党は古典的な重農主義的自由主義を理念とする政党として出発しているが、中でも最も歴史が古いのは、デンマークの左翼‐デンマーク自由党である。当初は連合左翼の名で1870年に結党された同党は、貴族層に基盤を置く保守政党に対抗して地方農民層を代表する政党として誕生したことから、「左翼」の名となった。
 しかし、20世紀に入って都市労働者に基盤を置く社会主義的な社会民主党が台頭すると、対抗上中道主義を鮮明にしたため、党名にもかかわらず、社会主義的政党ではない。以来、今日まで社民党と二大政党政を構築し、交互に政権を取り合う存在となっている。
 類例は、スウェーデンの中央党である。1913年に農民同盟として結党され、57年に改称した同党も農民を最大支持基盤とする農民政党であるが、デンマークほどに主要政党とはならず、社会民主党と対立する保守系政党と連立を組むことが慣例として定着した。
 ノルウェーにも、1920年に農民党として結党された中央党がある。同党もスウェーデンのそれと似て、保守系政党との連立を基本としてきたが、2005年に初めて左派の労働党に連立を組み替え、左派側ににじり寄った。
 アイスランドでは、進歩党が農民政党として勢力を持つ。ただし、漁業が主産業である同国では、漁民の利益代表としての性格が強いことが特色である。デンマーク領時代の1916年に結党された同党は、1945年の独立後、右派の独立党と二大政党政を形成し、しばしば政権党にもなってきた。
 他方、歴史的に特殊な役割を果たしたのはフィンランド中央党である。同党は、フィンランドがまだロシア領に属した1906年、農業同盟の名称で結党された。その名のとおり、農民の利益を代表する政党であり、地方農村を支持基盤とし、中央集権的なロシア支配への対抗から誕生した政党であった。
 農業同盟はロシア革命後のフィンランド独立、さらにフィンランド内戦を生き延び、労働者に基盤を置く社会民主党よりも先に最大政党として台頭していった。
 第二次大戦後はしばしば首相を輩出し、連立政権を主導する存在となるが、中でも1956年から82年まで連続して大統領を務めたウルホ・ケッコネンは、冷戦時代真っ只中にあって、資本主義陣営に属しつつ、隣接するソ連と実質的な同盟関係を結び、フィンランドの安全保障の担保とする微妙政策で成功を収めたのである。
 当時のフィンランド大統領は内閣と協働して権力を行使する存在であり、25年以上も続いたケッコネン体制にはいささか権威主義的な側面も見られたが、基本的には多党制に基づく議会制が保持されていた。その間、農民同盟は1965年以降、中央党に改称し、中道主義を標榜するリベラル政党としての性格を明確化にして、しばしば社会民主党とも連立してきた。
 20世紀以降の北欧諸国はいずれも資本主義体制を維持しつつ、それを社会民主主義的な政策により大きく修正する福祉国家体制を程度の差はあれ敷いてきたが、その中にあって中道主義を標榜する農民政党は、まさに左右の中間に位置して、バランサーとしての役割を果たしてきた。
 自作農民は「持てる者」として、政治的に保守化しやすい共通傾向を持つが、北欧農民はある種の進歩的保守主義の傾向が強いことが、こうした独特の中道リベラル政党への組織化を現象させてきたと言えるであろう。


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