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不具者の世界歴史(連載第24回)

2017-06-12 | 〆不具者の世界歴史

Ⅳ 保護の時代

社会主義体制と障碍者
 優生政策が、ナチスのみならず、「先進」資本主義諸国にも広がった背景には、健常な労働力確保という共通目的が存在した。では、労働者階級の国を公称した社会主義国家ソ連では、さぞ優生政策が実行されたかと思いきや、事情は異なっていた。
 その背景には、ソ連特有の教条的な生物学説の影響があった。その主唱者トロフィム・ルイセンコの名を取りルイセンコ学説と呼ばれるその説は、メンデル以来の遺伝学や自然選択理論を真っ向から否定し、環境因子による形質変化とその遺伝を主張するものであった。
 ルイセンコ学説は弁証法的唯物論を標榜してはいたが、実質的に見て、後天的に獲得された形質が遺伝するとしたラマルク学説の焼き直しに近いものであった。それでも、遺伝より環境に優位性を置くルイセンコ学説はスターリン治下で正統学説とみなされ、これに反対する科学者は弾圧された。
 このルイセンコ学説は謬論ではあったが、優生学が依拠したメンデル遺伝学や進化論に対立したがゆえに、優生思想がソ連で流布されることを防ぐ役割は果たしたようである。そのため、ナチスのそれとしばしば対比されるスターリン時代の大虐殺は優生学的な観点からのものではなく、あくまでも政治的な粛清の性格の強いものであった。
 こうしてソ連社会主義体制下で優生政策が展開されなかったことは、ソ連時代の障碍者政策が充実していたことを意味していない。実際、ソ連の障碍者政策は全然進歩的ではなかった。それを象徴するのが1980年モスクワ五輪当時のパラリンピック開催拒否宣言である。
 その際、ソ連当局が放った言葉「ソ連に不具者は存在しない」は、滑稽な弁明であると同時に、ソ連における障碍者の地位を物語っていた。実際のところ、国を挙げてエリート五輪選手の養成に注力していたソ連では、対照的にパラリンピック選手の養成は手付かずだったのだった。
 ソ連時代の障碍者政策の詳細については未解明の点も残されているが、労働能力に欠ける障碍者は二級市民扱いであり、放置または隔離されていたとされる。ただし、視覚障碍者に関しては、都市ごとにコロニーが提供され、優遇されていたというが、障碍者を集住させるコロニーという発想も隔離保護政策の一種である。
 かくして、優生政策を追求することのなかった社会主義体制も、「保護」の名による障碍者統制という点では、特に進歩的と言えるところは何もなかったのである。ソ連より発展度の低い社会主義諸国では、なおさらのことであったろう。


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