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マルクス/レーニン小伝(連載第14回)

2012-08-23 | 〆マルクス/レーニン小伝

第1部 略

第3章 『資本論』の誕生

(2)プルードンとの対決

プルードンとの出会い
 マルクスが経済学研究をいっそう進展させるに当たっては、フランスの社会主義者ピエール・ジョセフ・プルードンとの出会いが重要な契機となっている。
 1809年生まれでマルクスよりも一回り年長のプルードンは貧困家庭に生まれ、印刷工として生計を立てながら独学でフリーランスの反体制的な著述家となり、後には投獄も経験した政治的闘士でもあった。マルクスのパリ遊学時代には「財産、それは盗みだ」のセリフで有名な主著『財産とは何か』がセンセーションを呼び、プルードンはフランスを中心に社会評論家として声望を持っていた。
 彼はまた論文「政府とは何か」の中で、「政府に統治されるとは、そうするだけの権利も見識も美徳もない連中によって監視され、検分され、スパイされ、指示され、法的に強制され、番号化され、規制され、登録され、教化され、説教され、統制され、調査され、評価され、査定され、検閲されることの謂いである」と論じるアナーキズムの祖でもあった。
 当初プルードンの『財産とは何か』に感銘を受けた一人であったマルクスはパリでプルードンの知遇を得て交流を深め、特に経済問題について徹底した意見交換をしたという。
 しかし、この出会いはエンゲルスとのそれのようにはいかなかった。プルードンとマルクスの間には大きな溝があったからである。面白いことに、裕福な有産階級出身のエリート・マルクスがすでにプロレタリアートによる人間解放という視座を引っ提げていたのに対し、無産階級出身の独学者プルードンにとっては皆が平等に小財産を持ち、互いに助け合いながら自治的に社会を営む連合主義が理想なのであった。これでは二人の息は合わないはずであった。

『貧困の哲学』vs.『哲学の貧困』
 マルクスとの理論的相違の深さを十分に認識していなかったプルードンは1846年に出した大著『経済的諸矛盾の体系、あるいは貧困の哲学』(以下、『貧困の哲学』という)を前年ブリュッセルに亡命していたマルクスに早速送付し、称賛を期待しつつ批評を求めた。
 この本は古典派経済学と既成の社会主義理論についてプルードンなりに体系的な批判を加えたつもりのものであったが、すでにプルードンに批判的になっていたマルクスはこれを好機ととらえ、翌47年、全面的な批判の書『哲学の貧困‐プルードンの貧困の哲学に対する回答』をフランス語で公刊したのである。
 ちなみに、本のタイトル『哲学の貧困』は言うまでもなくプルードンの書『貧困の哲学』を逆さまにもじったもので、多くの友人を離反させてしまうマルクスの皮肉っぽいポレミカルな性格がよく示されている。
 この本におけるマルクスのプルードン批判の骨子は大きく二つあり、一つはプルードンがリカードウを生半可に解釈して導き出した「一定量の労働は同一量の労働によって作られた生産物の価値に等しい」との命題への批判である。
 マルクスによれば、この命題は全くの誤謬である。労働はそれ自体商品であるから、商品としての労働を生産するのに要する労働時間によってその価値が測られるのであり、その労働時間とは労働の不断の維持のため、すなわち労働者を生活させ、その子孫を繁殖させ得るために不可欠な物品を生産するのに必要な労働時間のことにほかならないという。
 従って、この労働時間によって測られた価値としての賃金と、この賃金の下で労働者によって生産された物の価値とは等しくならない。それどころか、労働の自然価格は賃金の最低限をなしている。裏を返せば、労働者は賃金に見合った価値以上の価値を創造させられている。
 こうしたマルクスの「回答」は、価値を創造する人間の肉体的・精神的力量としての「労働力」と価値を創造する働きそのものである「労働」とが混同されていたり、労働(力)の自然(通常)価値は最低賃金に等しいといった誤謬命題にとらわれていたりする理論的な欠陥をなお免れていないものの、「疎外」という倫理学的概念を科学的とされる「剰余価値」理論へ練り上げていくための手がかりがすでに芽生えている。
 マルクスのプルードン批判のもう一つの論点は、プルードンがヘーゲル弁証法の貧弱な援用を通じて―この点こそが本のタイトル『哲学の貧困』の由来である―、現存社会の悪い面を除去し良い面を助長するといった社会改良主義にとどまろうとする不徹底さへの批判である。
 これに対して、マルクスは未公刊に終わった『ドイツ・イデオロギー』で展開していた唯物史観を改めて対置し、プロレタリア革命の必然性を論じる。彼によれば、プルードンは科学者としてブルジョワとプロレタリアの上を天駆けようと欲しているが、実際は資本と労働の間を、経済学と共産主義の間を絶えず揺れ動くプチ・ブルジョワにすぎない。
 最後に、革命前夜における社会科学の最後の言葉として、「戦闘か然らずんば死か、血みどろの闘争か然らずんば無か」というフランスのフェミニスト作家ジョルジュ・サンド―マルクスとも交流があった―の名言を引いて力強く締めくくられるこの書はマルクスにとって初の経済理論書であり、彼の本格的な経済学研究の出発点に位置づけられる作品となったのである。


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