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農民の世界歴史(連載第39回)

2017-04-11 | 〆農民の世界歴史

第9章 アメリカ大陸の大土地制度改革

(6)コカ農民と山岳ゲリラ活動

 南米では儀式用途や薬用のコカの栽培が古来行なわれてきたが、スペインの支配が確立されると、労働効率を上げるため、高山病対策の効能があるコカ噛み風習が奴隷化された先住民間に植え付けられた。需要が増えることでコカ栽培も広がり、特に山岳貧困地域では栽培が盛んになった。
 中でもコロンビアは世界最大のコカ栽培地へと「発展」していくことになる。軍事クーデターが頻発しがちな南米諸国の中で古くから二大政党政が定着し、最も立憲的と評されるコロンビアがコカ大国となった背景にはやはり大土地所有の問題があった。
 コロンビアは「立憲的」であるがゆえに、大土地所有制に革命的なメスが入れられることはなかった。そのため、土地無し農民たちは未開拓の森林へ植民し、政府の権力も充分に及ばない環境の中で自給自足生活を補う換金作物としてコカ栽培が広がった。
 これはコカを麻薬のコカイン原料として買い取る麻薬組織との取引関係あってのことであるが、政府による麻薬組織撲滅作戦により組織が弱体化すると、今度は政治的なゲリラ組織が乗り出してきた。これがコロンビア革命軍(FARC)である。
 FARCは元来、キューバ革命に触発される形で1960年代初頭に結成された農民運動に出自し、マルクス‐レーニン主義に基づく革命政権の樹立を綱領に掲げていた。当初は決して大組織ではなかったFARCが90年代以降、急成長した秘訣が麻薬取引であった。
 FARCはコカ栽培農民への「課税」名目での強制献金や要人誘拐も盛んに行なって組織の資金源とし、2000年代に入ると数万人規模に膨張、政府との事実上の内戦状態に入った。
 しかし08年、結成以来のマヌエル・マルランダ最高指導者の病死を契機に弱体化し、12年以降和平交渉が進展、16年には和平合意が成立した。この功績から、時のフアン・マヌエル・サントス大統領は16年度ノーベル平和賞を受賞した。
 とはいえ、コロンビアの大土地改革は二大政党政が流動化した21世紀においても根本的には進んでおらず、ゲリラ活動を支えたコカ栽培農家の転換も課題である。
 類似の現象を経験したのが、隣国ペルーであった。ペルーでは先述したように、1960年代から70年代前半に軍事政権の枠組みでの「革命」により農地改革は進んだが、元来政府の権力が及びにくいアンデス山地の僻地は改革の恩恵に与ってこなかった。そうした中、この地域の貧農の間でもコカ栽培が広がっていた。
 これに目を付けて台頭してきたのが、センデロ・ルミノソ(輝く道;以下、SLと略す)を名乗る武装ゲリラ組織であった。この組織は軍政が終了した1980年、毛沢東主義を標榜するペルー共産党分派により正式に結成された。
 その最高指導者アビマエル・グスマンは元哲学教授という異色の履歴を持つ。SLは農民運動ではなく、コカ農村を庇護しつつ、戦略的拠点として利用しただけであったから、グスマンの個人崇拝とテロの恐怖で支配し、かえって農村を荒廃させた。
 1980年代のペルーはSLとの事実上の内戦状態であったが、90年に当選したフジモリ大統領は非立憲的な「自己クーデター」により強権を握り、SL壊滅作戦に乗り出し、92年にはグスマン拘束に成功、彼をペルー最高刑の終身刑に追い込んだ。
 2000年のフジモリ失権後、SL残党は一時的に盛り返すも、12年に残党指導者が拘束され、弱体化した。こうして、SLはFARCとは対照的に非立憲的・非平和的な手法によってほぼ壊滅された。とはいえ、山岳僻地の貧困問題の解消は未解決課題である。


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